
Native Speaker
時々、電話の問い合わせで、
「先生は全員nativeですか?」
「子供時代から30年くらい外国に住み、nativeより英語が上手な先生もいます。
そういう場合は、nativeと言いますが・・。」
「分かりました。・・・・」電話が切れる。
30年前、リッチモンドスクールを始めた頃は、
“外国人の講師”を唱っていた。
世の中の風潮として、“外人=青い目・白い肌”が英語の先生だった。
現在、リッチモンドスクールの英語講師は英・米・加・と日本人が二人いる。
H先生は、小学校がアメリカ、高校がアメリカ、フィリッピン、
その後、外交官のご主人と、ロシア、インドネシア、フランス、
30年以上、外国滞在、大学は日本のため教師免許も持っている。
文法・ニュアンス・発音・日本人の苦手箇所の把握・知的レベル、
何れをとっても勝っている。
また、もう一人のL先生は、W大学の学生。
日本生まれの日本育ちのブラジル日系五世。
教育はアメリカンスクール。
頭脳明晰・明瞭闊達・責任感・何をとっても卓越した能力を持っている。
二人ともまったくnativeに劣らない、むしろ優れている。
以前、チャイニーズフェースの講師を生徒さんに説明するとき、
“マレーシアンチャイニーズのオーストラリア人”と言ったら、
”オーストラリア人だけで良い“と、それを聞いていたアメリカ人に注意された。
アイデンテイテイーの問題ということなのだろう。
大分改善されたと思うが、
英語を学ぶのは、肌の色や容姿・国籍・何々人という事に拘る人がまだ居る。
優れた人・劣った人は国に関係ない。
昨今、ダイバーシテイーに対して後退しているようだ。
そういう事がヘイトスピーチにも繋がると思う。
夏の名残