英語(語学)について
2013/08/26
英語熱があちこちで叫ばれているわりには、
まだ語学に興味を持っている人が少ないと思う。
“習ったら”と言っても、
“使う所がない”とか“上手にならない”とか“嫌いとか”、、、、
学校英語のトラウマか、消極的な意見が多く聞かれる。
また、親が子供に習わせるのも、“英語を使えるように”ではなく、
“学校の成績のため”が優先する。
先日、台湾旅行から帰っていらした生徒さんに聞いた話だが、
旅行中会った台湾人親子は、日本語・英語・韓国語を話したそうだ。
全く普通の親子だったそうだが、
袖触れ合うもで、生徒さん母子は、英語と中国語と日本語で
充分コミュニケーションは楽しめたとの事。
また、タイに住んでいる知人によると、
ビジネス上は、全く英語。
タイ人同士でも問題なく英語を使用するそうだ。
教育施設や、専門教師、専門的な本等、まだ完璧ではないのか、
高等教育を受ける人は、欧米の高校や大学に行く人が多いとの事。
日本でも明治時代は、
教えることが出来る教師の不足や、専門書は原文しかなかったため、
英語やフランス語やドイツ語で授業を受けた。
明治時代の指導者たちは、窮すれば通ずで語学は堪能だったのではないか。
先日、電車の入口で中国人が占拠して中に入れなかったので、
「対不起」(ドェイブーチー)と数言しか知らない中国語で言ったら、
その周りが和やかになった。
アジアの国々の人が、何か国語も話し、堂々としている中で日本人が
下を向いているのは悲しい。
語学が出来ると恐怖心を持たず、堂々と誰とでも渡り合える。
Nativeのように喋れなくたって、
“なんちゃって英語”“ジャパニーズイングリッシュ”でも構わない。
世界を広げよう。
生徒さんと暑気払い
戦争について
2013/08/19
最近の若者は、関心がないか、右傾化かどちらかのように感じる。
近隣諸国にやられたい放題で、愛国心に火が付き、
戦争責任、慰安婦問題、いつまでも言い続けられる戦争責任。
同じ敗戦国のドイツはどうなのか?
毎日新聞の『そこが聞きたい麻生副総理ナチス発言』で、
ゲプハルト・ヒールシャー氏(元南ドイツ新聞極東特派員)によると、
日本とドイツでは、責任の取り方に違いがあるとのこと。
対照的な戦後処理は、
① ドイツでは、1958年以降、戦争犯罪を自国で6500人告発。
日本では、自ら追求していない。
② ドイツでは、かつて敵国だった国々と歴史教科書を作成。
③ ドイツでは、1953年に連邦補償法を制定し、ナチ犠牲者に補償している。
東欧からの強制労働者に対し2000年に財団を設立し、補償している。
また、ドイツではナチスを称賛する言動は法律で禁止されているとの事。
日本人の間で戦争や歴史について基本的な認識が共有されてない、、、が問題。
同じく毎日新聞の『69年目の敗戦の日』で
“戦争を終わらせるには”加藤典洋氏の主張によると、
「戦後が終わらないのは、日本が過去の侵略をアジア諸国に謝れず、アメリカが
原爆投下を日本に謝れないからである。、、、中略、、、歴史を忘れた民族に未来は
ない。」
”戦争の原因と国の説明”加藤陽子氏は
「戦争が起こされた本当の原因と、国家が国民に対して行った説明が異なっていた
事実、、、」
”『犬死に』は誰のせいか”白井聡氏は
「あの戦争による死者たち、あの無責任な指導者によって死を強いられた人々は、
現に事実として、まさしく犬死にの状態、、、」
今年の戦没者追悼式での天皇陛下のお言葉
『、、、、歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、
全国民と共に、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心から哀悼の意を表し、
世界の平和と、我が国の一層の発展を祈ります。』
会津藩(2)
2013/08/09
大河ドラマ“八重の桜”は、明治に入った。
回を追ってますます会津にシンパシーを感じている。
柴田遼太郎の『街道をゆく』に “白河・会津のみち“がある。
柴遼さんは、「会津藩」の項で、
“何から書きはじめていいかわからないほどに、この藩についての思いが、
私の中で濃い”。“、、、、私には強い同情がある”。
会津藩は、教育水準が高く藩としての精度が非常に高かったため、
困難な国事にこき使われたのこと。
容保は”自分は不才である“と、再三、固辞したのにもかかわらず、
京都守護職を引き受けざるを得なかったのも、
政治・機略・策略などと無縁の生真面目な藩風だったため、
火中の栗を拾うのを覚悟で、“会津藩のその後の運命を当初から予感し、
承知のうえで凶のくじを引いた。
史上めずらしい、、、”
会津藩士は、教育水準が高かったため、卓越した人物が多かった事。
また、戊辰戦争の後、藩ごと極寒の下北半島に流刑された事。
薩長の明治政府は、特に官界で彼らを差別した事。
我々は多くを知らされていない。
薩長土肥の新政府が、そのような文献が出版されるのを拒んだため、
長く世に出なかった。勝者による「維新史」のみである。
生前、悲劇の殿様、容保も幕府や慶喜に裏切られたこと等は一切沈黙し、
没後、明治30年代になり、やっと事の真相が世に出た。
明治維新の立役者として薩長がいるのは周知の事実であるが、
勝者(薩長)が敗者(会津)を執拗に虐めていた闇の部分も明らかにされる
べきであると思う。
そういう意味で、大河ドラマで幕末の会津藩が歴史の表舞台に登場し、
逆賊の汚名が返上され、会津の人々の積年の思いが晴らされる事は喜ばしい。
また、八重の最初の夫・川崎尚之助も脚光を浴び、最近、史実が研究され、
演じている長谷川博己を通して、長く埋もれていた謎の人物、尚之助像が、
悲劇の人として美しく明らかになってきた。
歴史に埋もれている沢山の史実が明らかになっていくことに、
言い知れぬロマンを感じる。
古式蒼然さを残した東京駅
グリーフケア(近親者と死別して悲観にくれている人々をケアする事)
2013/08/02
グリーフケアとは、欧米の病院で、死亡した患者の家族に対して、
悲しみから立ち直るサポートをするという事が始まり。
私は、毎日新聞「さあこれからだ」鎌田實さんのエッセイで、
グリーフケアという言葉を知った。
日本のグリーフケアの第一人者である六甲修道院の高木慶子シスターのことが書かれていた。
彼女は「人生の三分の一は、悲しみの中にいます」と言われた。
(三分の一はあまりに多くてびっくりだが、後の三分の二は、何なのだろう?楽しい事だったら嬉しいが、、、、)
人生で遭遇する悲しみは、災難や災害等、特別のことだけでなく、
日常的に遭遇する喪失体験によって、人は悲嘆にくれるとの事。
人に気に障る事を言われた、老いていく両親、失恋、口げんか、嫌な仕事等、
生きていく以上、些細な事でも傷つき喪失感に襲われる。
そういう時は、人に話すことで救われるという。
現在は、核家族になり、家族との談笑で癒えることもなく、
仮想的な友人関係では慰め合う事は出来ないだろう。
高木シスターは震災の被災地を幾度となく訪れて
「生き残り症候群」に苦しむ沢山の遺族に寄り添い、
『悲しい時には悲しんでください。涙をこらえないでください。
希望はそこから生まれます』と話しているという。
まだ、被災地では悲しみが続いている。
グリーフケアの目的は、その人の人生を認め、肯定すること。
人生は喪失の連続だからこそ、私たちはやさしい心で支え合うことが必要なのだ。
(鎌田實)
Richmond cats (photos taken by Martin)