厳島神社観月能
2017/10/27
厳島神社の能はずっと以前から行きたいと思っていた。
海に浮かぶ能舞台という設定に惹かれた。
満月の夜、満潮時。
海に照らされる月の明かりと、水面の揺らぎ、
回廊にぶつかる波の音。
海に浮かぶ能舞台で繰り広げられる能の世界。
遠くには、ライトアップされた赤い鳥居が浮かぶ。
真っ暗な回廊に小さく灯される灯篭のほのかな明かり。
客席は時が止まったような静寂と漆黒の闇。
自身の存在さえ無になったような瞬間。
能役者の舞う厳かで幻想的な能の世界。
まさに“幽玄”
薪能は何回か経験したが、
観月能は全く別世界。
実は、満月ではなく雨だったが・・・、
回廊の屋根を打つ雨音が、笛や鼓の能楽と融合し、
また一段と魅力のある舞台となった。
ひたひたと打つ波の音を足元に聞きながら、
長い回廊を歩いて、
現実の世界に連れ戻された。
能が始まると照明は全て落とされ、能舞台だけ明かりが灯る。
日野原先生
2017/10/10
先日亡くなられた日野原先生の本は読んだことがなかったので、
評判になっている何冊かのうち1冊を注文した。
なんと、1か月も待たされて。
“生き方本”は、ちょっと抵抗があるが、
105歳の長寿を全うされた日野原先生には、
特別な何か、があるのではと思い、
読んでみたくなった。
「どうよく生き、どうよく老い、どうよく死ぬか」日野原重明
”生きていくことに、悲しみはついてまわります。
けれども、悲しみの数よりもはるかに多くの喜びが人生には用意されている、
そう私は信じています。“
日野原先生は、30代でアメリカに留学し、
臨床医学の父とも呼ばれたオスラー医師の著書を通して
臨床医としての姿勢を学んでという。
”医師は病を診るのではなく病む人を診るのだ。“
”南を向く斜面のよう人柄でありなさい“
彼は、そのオスラー先生の教え通りに、
臨床医として、
常に患者の立場に立って、患者のために生涯尽くされた。
日野原先生は、根底に人間に対する深い慈愛と優しさが溢れていた。
晩年は子供たちに、命の大切さを伝えるため、
亡くなるまで日本中津々浦々講演に回っていた。
また、スポーツ、音楽、絵画、文学、どれにでも造詣が深く、
全てを、一流にこなされた。
同じ時代を生きた医師の父に、
”日野原先生を見習って“と叱咤激励したが、
一足早く、わが父は90歳で現役の医師として亡くなった。
超人的な日野原先生と比較してごめんなさいと、
父の写真に手を合わせている。