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幸せホルモン;オキシトシンとセロトニン

2012/10/31


セロトニンは鬱病の治療薬として、
また、感動したり、楽しかったりすると分泌される幸せホルモンとして
近年耳にすることが多くなった。

 

そこにまた一つ、幸せホルモンが注目されている。
オキシトシン;母親が授乳時に脳内から出てくるホルモン。
オキシトシンが分泌されると、おっぱいが沢山出てくるという
好循環がもたらされる。

 

オキシトシンは授乳時の女性にしか分泌されないと思われていたが、
男女問わず誰にでも、
”誰かに何かをしてあげた時“にも分泌される事が、最近解明された。
他人に良いことをした後、
何となく気分が良くなるのは、オキシトシンが分泌されていたからなのだ。

セロトニンが”自分を幸せにするホルモン“
オキシトシンは”他の誰かを幸せにするホルモン“

 

セロトニンとオキシトシンが両方分泌されれば、
自分も皆も幸せになり、幸せの連鎖。

 

自分が幸せになりたいと思ったら、他の誰かを幸せにするように心がければ、
その行動が、自分自身の幸せホルモンの分泌になり、自分が幸せになる。

 

なんとステキなホルモンだろう。
皆でオキシトシンを分泌して、
世界中、優しさに満ちた、幸せの連鎖をつなげよう!

 

 

 

 

リッチモンドスクールを遊び場にしている猫のファミリー

 

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中国語を学ぶ

2012/10/26


震災から立ち直りつつある日本人に、
尖閣諸島の問題で、また大きなストレスが加わった。
領土問題は、
簡単に解決できない問題だと云うことを嫌というほど思い知らされた。

 

リッチモンドスクールでは、何年か前から中国語も教科に入っている。
私自身、実はあまり興味がなかったが、
中国語を習っているお子さんが、とても上手になっているので、
私も、負けずと始めた。
本土に13億人以上、華僑を入れたら、
世界の25%近い人々が話している言語である中国語。

 

中国語が少し面白くなってきた時、この問題。
一気に興味を無くした。
が、思い直し、
敵を知ることは、己を知る事、
というほど大げさなことではないが、
やってやろうじゃないの、というやけっぱちに近い状態で
続けている。

 

また、“知るは楽し”

 

大げさではあるが、
中国人を研究したいという思いもある。

 

リッチモンドスクールの中国語の先生も、友人の中国人も、
全く私たちと変わらない価値観を持って、違和感はない。

 

他人を力ずくで変えることは出来ない。
自分が変われば、相手が変わる。

 

同様に、中国人を変えることは出来ない。
私たち日本人が変われば、中国人が変わるのではないか?
(そんなに甘くないかもしれないけれど、、、、、)

 

 

 

 

 

 

 

イチョウ並木は紅葉にはまだ早いが、何となく深まりゆく秋を感じる

 

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田中正造とシューマッハー

2012/10/19


田中正造(1841-1913)とは?
日本初の公害とされる足尾銅山鉱毒事件の解決に奔走した政治家。

 

彼の日記からの言葉。
”物質上、人口人為の進歩のみを以て社会は暗黒なり。デンキ開けて社会暗夜となれり“。
“真の文明は山を荒らさず川を荒らさず 村を破らず 人を殺さらざるべし”

 

彼が亡くなって来年で100年。今、再び注目が集まっているという。
100年も前に、しかも人々は文明開化を期待していたまさにその時に、
現在を予告するがごとくの言葉。

 

福島原発事故と足尾銅山事件が類似しているという。

 

また、異端の経済学者、シューマッハー(1911-77)の予言的著作
「スモール・イズ・ビューティフル」の中で、
人間中心の経済学
世界中が繁栄を求め経済拡大のみを目指せば、地球が壊れてしまう。
科学技術の巨大化を疑い、地球に見合った「中間技術」を求めてこそ破局は避けられる。

 

”平和の土台は反映であり、経済の拡大がすべての矛盾を解決する“という現代主流の経済学を批判した。

そして、”原子力/救いか呪いか“の章で人類に及ぼす危険性を説いている。

 

原発廃止を決めたドイツの会議での決定打は、
“倫理は経済や科学より優先する”だった。

 

走り続け、止る事が出来ない繁栄の末には、何が待っているのか?
警鐘はもうずっと以前から鳴らされていたのだ。

 

 

 

 

 

 

リッチモンドスクールの窓辺に咲くミントの花

 

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和ランの一種?筆のような花を毎年咲かせてくれる。

 

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香り美人の金木犀

 

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哲学をする Ⅱ

2012/10/12


前回のブログで“哲学をする”に関して
テーマが重すぎるとの指摘があった。

 

哲学するとは、
Educational backgroundだけについていうのではなく、
地に足が付いた生活をしている人々は、自ずと哲学的生き方をしていると思う。

 

大地に根を下ろし、
自然と共に生きている人は、
学問的裏付けがなくても、
自然の恵み、恐ろしさを知っていて、謙虚に生きている。

 

奢ることもなく、自分自身を見つめ、現実をしっかり受け止めた生き方をしている。
そのようなdown-to-earthな人を、何人か知っている。

 

自分の立ち位置をわきまえ、
清い優しさのあふれた朴訥とした言葉を話す人が、
結果的に哲学していると云えるのではないか。

 

そのような一人、私がお米を頂いている友人のトモ爺さん。
様々な作物を工夫し、研究して作り、皆に分けて下さる。
彼の作った種々のブドウは、他では食べられない逸品。
また、先祖から受け継いだ土地を守ることが使命だと云う。

・・・・・・・・・・

 

そばを打ち、
ピザ窯でピザを焼く。
それを皆に振る舞うのが、何よりも楽しいという。

 

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物置の隣のピザハウス

 

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哲学をする

2012/10/05


“臨床哲学講義”(木村敏著)の村上陽一郎の書評で
”ヨーロッパでは、哲学、のみならず、学問の世界で一般に、

古典語としてのギリシャ語とラテン語、

そしてヨーロッパの主要言語(英・独・仏)に堪能であることは、

学者としての基本的な素養であったし、現在でもあまり事情は変わらない。、、、、、

 

大学院入試でさえ、英語の試験しか課さず、

しかもアメリカ式の標準語学テストで取った点数の提出で代行するところが多い

日本の現状には、強い危機感を持つ。“

 

昔は“偉い人”というくくりである学者、政治家、一流企業人、お役人等々に、
最近は理解に苦しむ行動や言動が目立つ。

 

昔の政治家や企業人は、いわゆる大物が存在していた。
良くも悪くも威光があった。
今の”偉い人々!“との違いは何かと思った。
小粒、自分の事しか考えない、大局的に物を見られず、目先の利益の事ばかり。
知識人が見当たらない。

 

哲学しなくなったのだ。
先人たちは、哲学に造詣が深いため、高い見識があり、
また、数か国語を自由に操ることにより、広い知識と教養を深めていったのだろう。

 

少なくとも、学者や政治家、社会を引っ張っていくような地位のある人は、
哲学をして自分に向き合い、
専門バカではなく、広い知識を得るために勉強して欲しい。

 

偏差値教育も弊害かもしれない。
マニアル人間を作り出し、点数偏重になり、他人と自分の比較は点数のみ。
考える力が育たないのだ。

 

語学学習も同じ。
点数ではなく、知識に裏打ちされた教養のある会話が出来るようになりたい。

 

 

 

 

 

また今年もハローウインの季節がやってきた

 

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