優しい人たち
2015/09/28
香山リカさんの“心の万華鏡”
”デモを支える「影の力持ち」“毎日新聞から
彼女はたびたびマスコミに登場する弱者の味方の精神科医。
国会議事堂前の抗議活動の“医療班”について書かれていた。
彼女のコメントによると、
彼ら彼女らは、個人的に手を挙げた医師・看護師らのボランティア。
個々に日程を調べ、参加可能な人が駆けつける。
警官隊に意地悪されながら、
狭い場所で、我々の命を守って闘っている医療団。
先日、その中の一人の医師がスピーチをした。
こちらは感謝の気持ちで一杯なのに、
逆に彼は、この機会を与えられたことに・新しい出会いに・
勇気を与えられたことに・感謝すると、スピーチした。
また、私の友人たち。
SEALDsの若者たちがゴミを拾って帰るとFBに書かれていたのを見て、
たまたま持っていたビニール袋にゴミを拾いながら帰った。
次の日は、申し合わせたように、みな、家からゴミ袋を持参してゴミ拾い体制。
数万人が集合しているのに、あまりゴミは落ちていなかったが・・。
ゴミ拾い袋を持ってきた友人たちも、
ゴミを落とさない人々も。
また、医療班の先生の話から、
身動きが出来ない人混みで倒れたお年寄りの救出に途方に暮れていた時、
“モーゼの海の水を割る”の話のように、
人混みが割れ、さっと道を作って助け出した人々。
みんな、みんな優しくステキ。
沢山の感動を与えてもらっている。
若者たちへのラブレター
2015/09/20
今週、国会議事堂前の集会に月曜から金曜、火曜を除き4日間参加した。
人生初の行動だった。
月曜は国会前の座り込みから参加した。
沢山の中年から老年の男女でピクニックに来ているような感じ。
”座り込み”と言う過激な雰囲気は全くなかった。
6時頃になると、アナウンスが始まり、
サラリーマンや大学生、高校生、若者が沢山集まって来た。
憲法学者や大学教授、野党の政治家、等の挨拶。
そしてSEALDsのコール。
若者のビートのきいたラップ調のコールは
国会前に響き渡り、我々の声を導く。
大江健三郎さんや落合恵子さんに混じり、石田純一さんが声を上げた。
著名な作家・学者に混じり、一般の人々の演説にも深く感動する。
普通の言葉で普通に話し、笑いも混じる。
また、SEALDsの女性たちの理路整然とした静かな心の叫びの演説には、
涙が出そうになる。
SEALDsを中心とする若者に心を奪われた。
彼らは朝まで集会をして、ゴミ拾いをして帰る。
SEALDsには、悲壮感やヒステリックな必死さは無く、
何処か覚めてクールでスマート。
秘めた情熱と静かなエネルギーを感じる。
心の叫びは、音楽のように胸にしみる。
ごり押しされた法案が通ってしまい、敗北感に打ちのめされるが、
若者からエネルギーを貰ったのか、爽やかな気分。
国の転換期の現場にいることが出来たと、ささやかな満足感。
ずっと前から行動してきたSEALDsの若者たちの心情を思うと、
心が痛い。
挫折感をバネに明日に向かって、
エネルギーを切らすことなく、
戦い続けて。
応援するからね。
民主主義って何だ! これだ!
おばさん達はSEALDsの若者たちに、完全にノックアウト。
リッチモンドスクールの子供たち
2015/09/11
中学生になり、完璧なほど良い子だった子がちょいワル子になる場合がある。
夏休み集中コースのお知らせをお送りしたら、
一人のお母さまが、“受けさせたいのはやまやまですが、、、、、、、”
“生意気な中学生になって、いう事を聞いてくれません。”
頭が良く、イノセントで聡明な美人さんだった彼女が生意気になったなんて
信じられない。
可愛いキラッとしたセンスを持っていた彼女と毎週会うのが楽しみだった。
もう一人は、幼稚園の時に始め、家が遠い為、出たり入ったりしている。
やはり秀才で顔も性格も可愛い坊やだったが、
ちょっと大人になり、ちょっとカッコ良い中学生になった。
やはりお母様は、云う事を聞いてくれないと嘆いている。
彼は某小学校では勉強をしなくても常にトップにいたが、
中学生になると、なかなかそうはいかない。
この夏休みは学校の教科であるフランス語を短期集中で学んだ。
講師がビックするほど、飲み込みが早く、全て瞬時に覚えてしまう。
もったいないかな、覚えたものは繰り返さないと忘れてしまう。
このような頭の良い子は、
時として、勉強しない子になる可能性がある。
コツコツ努力は、何事にも替えがたい。
秀才をいかに努力させるかがリッチモンドスクールの課題でもある。
私は親ではないので、
勉強しなくても可愛くて仕方がないけれど・・・・。
津村禮次郎—薪能@佐渡島
2015/09/02
“躍る旅人―能楽師・津村禮次郎の肖像” 三宅流監督の映画を見て、
津村氏の舞う“動”の能に不思議な感動を覚えた。
映画では、彼自身も動きの激しい能を舞い、また、バレエや
コンテンポラリーダンスとのコラボ、果てはバリでのケチャダンスとのコラボ、
能の“静”とは対照的な激しい舞が描かれている。
彼は観世流能楽師ではあるが、古典能だけでなく、
彼独自の創作活動を70歳を経てなお続けている。
舞台を降りた日常の彼は、求道者の厳しさを感じさせず、
超越した好々爺の笑顔で、合う人すべてを魅了する。
映画でも描かれていた、彼が30年近く続けている佐渡での薪能を
ぜひ見たいと思い、出かけた。
赤々と燃える炎に浮かび上がった春日神社の能舞台は幽玄の世界。
狂言に始まり、能・杜若、創作ダンスの朱鷺、
創作ダンスではチェロと笙の奏でる音が物悲しく闇夜に響き渡り、
朱鷺の精と能楽師の舞は、動と静、喜びと悲しみが交錯し、
息をのむほど美しかった。
次の日は、友人の運転で北から南まで佐渡島一周。
地方再生の掛け声虚しく、街中はさびれた感じだが、
海と山の自然は、心が和む。
鎌倉時代には日蓮上人、室町時代には世阿弥が流され、
身分の高い人や武士・文化人等が多く流されたため、
神社仏閣や文化財が散在している。
能舞台も日本全体の3分の一が集中する。
また、金山が有名であるように、江戸時代は大変栄えた豊かな島だった。
豊かさを示すような、しっとり落ち着いた街並みも見られる。
初めての佐渡は実り多い発見の旅だった。
佐渡最北端、願
根本寺
蓮華峯寺