そして父になる
2013/09/30
カンヌ国際映画祭でのスタンディングオベーションの場面から始まった。
満場の拍手の中、出演者全員が目を潤ませて感激している場面。
スクリーンを見ているこちらからも拍手したくなるような感動だった。
福山雅治は美しく素敵だった。
子供たちは抱きしめたいほど可愛かった。
とにかく子供たちの素直な演技と、愛らしさも、
かなり高いポイントになっていると思う。
福山演じる野々宮良多は、いわゆるエリートサラリーマン。
リリー・フランキー演じる斉木雄大は、地方都市で小さな電気店を営んでいる。
その二家族の子供(慶多と琉晴)が取り違えられたと、
病院から告げられたことから、歯車が狂い始まる。
雄大は、粗野で教養はなさそうだが、子供と泥だらけになって一緒に遊ぶ
貧しくても楽しい我が家のお父さん。
良多は、子供を私立小学校にお受験させピアノを習わせるような勝ち組パパ。
全く価値観の違う、子供への愛情のかけ方、愛情表現も違う、
接点のない二家族が歩み寄りながら、血のつながった子供を交換する。
二人の子供は、
それぞれの新しい家族に溶け込もうと、納得できないながらも努力する。
そのけなげさと、いじらしさが胸に刺さる。
6年間我が子として、慈しんでいた子供を手放す苦しさ。
血のつながりか、愛した時間を取るか、重い選択。
そして最後で、はからずも良多の出した結論は?
ラストの場面は、慶多が可愛いくて、いとおしくて涙が止まらなかった。
映画が終わって明るくなっても、ハンカチを押さえ泣き続けていた人がいた。
クールに苦悩する福山雅治。
身体中に悲しみが溢れていた良多の妻、尾野真千子。
もう一方の家族の真木よう子とリリーランキーの醸し出す雰囲気。
二人の子供たちの戸惑い、優しさの表現。
全てが、一つになってヒューマンドラマ是枝ワールドを作っていた。
血が噴き出たり、おぞましかったり、現実離れしているような映画ばかりの中、
深いテーマで人間を暖かく描いた映画。
是枝監督のファンになった。
急に秋になった表参道
堪える
2013/09/24
“堪える” 日本人らしい表現だと思う。
ただ、果たして今の日本人にどれだけ堪えることが出来る人がいるのだろう。
「、、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、、」
昭和天皇の敗戦時の玉音放送のお言葉だが、
当時は、幼子から老人まで右から左までお国のためと堪えてきた。
国民は何の疑問も持たず、堪えることは一般常識のようになっていた。
現在、”じっと堪えること“が出来る人はいるのか?
堪えなければならないことがあったら、
戦って最善と思われる方法を画策する。
自分では解決できない問題は、
他人を巻き込み大騒ぎするか、
自分に被らないように他人のせいにして逃げるか。
あるいは、財力で解決するか。
あらゆる知恵を使い、回避する。
それも良い、確かに悪くはない。
でも、”堪える”とは何もしないという事ではない。
自分を見つめなおすチャンスであり、
堪えなければいけないことに、身を任せる事ではないか。
身を任せて本質を見極める。
”堪えること”は心身共に鍛える事ではないか。
じっと堪えてこそ明るい光が見えてくることもあるのではないか。
自我を主張せず
“静かにじっと堪える”に
日本人の本来の美学を感じる。
次から次へ困難が降りかかってきても、
堪えている自分の姿を客観的にみられるようになりたい。
“堪える”――難しいからこそ憧れる。
現在、リッチモンドの周りは工事中だらけ。
騒音公害!!
オリンピック
2013/09/13
進まない復興、
福島の汚染水問題、
オリンピックより被災地の復興でしょ!
日本で開催するなら、九州か大阪、東京ばかり2回も?
関心薄いなか、マスコミに乗せられテレビ観戦。
見るとはなしに見ていたら、
パラリンピックの佐藤真海の英語のプレゼンテーション、
ちょっとウルっときた。
IOC委員の心を最も掴んだ感動的スピーチだった。
プレゼン中は、みな満面笑顔(見ている方がちょっと恥ずかしくなったが)、
堂々としていて日本人もヤルではないかと思った。
(イギリス人の招致請負人が居て、全てその指導の下に行ったとの事)
オリンピックには消極的だったが、
日本での開催の良い点を挙げてみた。
☆子供たちの7年後に向けて夢ができた。
☆オリンピック期間中には、いろいろな国々から観光客が来日し
グローバル、グローバルと叫ばなくても、否が応でも国際化は進む。
☆日本の得意な”おもてなし”文化を世界に発信できる。
☆気分的にも景気は良くなりそう。
☆安倍首相が世界に向けて福島問題、復興を約束したからには
もう裏切れない。
一致団結、オリンピックの成功を願うが、
一部の偏った利益団体にお金が落ちるようなことが無いように、
多額の使途不明金が出たりしないように、
公明正大に実施されるように、
しっかりと見守っていきたい。
国民みんなが“おもてなし”できる様に、語学を学びましょうね。
7年でマスターするという目標を掲げて、語学音痴の日本人を返上。
秋は近いのでしょうか?
ストレス
2013/09/09
ストレスはもともと物理学の分野の言葉。
物体に歪みが出来た時、その歪みをストレス、衝撃をストレッサ―という。
これをそっくり人間にあてはめ様々な衝撃(ストレッサー)を受けて
私たちの心や体にできる歪みをストレスととらえた。
ストレッサー(衝撃)が大きいほどストレスは大きいかと言えば、
それに比例して大きくなるかというとそうではない。
ストレッサ―が大きくてもそれを回避してくれる人、物があれば
ストレスは軽減される。
上記は毎日新聞の誰かのコラムに書いてあった。
ストレスと云うと、妙に深刻な意味合いだが、
ただの歪みだと思えば、その歪みを元通りにすれば良いのだと
軽い気分になる。
軽い衝撃だったら、すぐ修復するが、
衝撃が強いと、修復不可能になる。
ただし、人間の場合はそんな単純ではなく、
修復不可能なほど衝撃が強くても、
そのストレスを持った人によってストレスの感じ方の度合いは違う。
また、ストレスに強い人と弱い人がいる。
弱い人は、ストレスから逃れるため、
人のせいにしたり、何か別の物のせいにしたりして、
本質を見ず立ち向かわない。
ストレスはどこに原因があるかを見極め乗り越えてこそ、
次のストレスが来た時に対処でき、
人間性が高まり強くなれる。
以前、次から次に家族に不幸が起こる友人がいた。
でも彼は、いつもにこにこしていたので、
どうしてそんな平然としていられるのか尋ねたら、
“すべてを受け入れる”と云われた。
私も年を取り、少しその境地が分かるようになったが、、、。
それにしてもこの残暑も相当ストレス。
どういう風に解決しますか?
夏痩せの野良ちゃん
「はだしのゲン問題」
2013/09/02
松江市教育委員会が小中学校の図書館に閲覧制限を撤回した。
閲覧制限した理由は、
過激な描写が多々あるため、小学生には刺激が強すぎるという。
これに関して、
松尾貴史氏は、
“「戦争は怖いよ。命は大切だね。平和が一番だね。」
何の刺激もなしに教えるのは不可能ではないか。
これから社会を担う子供たちが少しでもその凄惨さを知る機会を奪うことの
デメリットの方がいかに大きいか、、、”
“心がざわつき、痛ましさを覚えるからこそ、
絶対に戦争はいけないものだと教えることが出来るのではないか。”
また、荻上チキ氏は
“小中学生の頃、僕が「ゲン」を読んで真っ先に抱いたのは
「こんな時代でなくて良かったな」という感想。
原爆の威力、空襲、飢餓等が恐ろしかったこともあるが、
特定の意見や行動に同調しない者を「非国民」とののしることが是とされる、
「特定の空気に熱狂する人々」の姿だった。”
また、新聞の投書欄から
16歳高校生君
『「ゲン」の衝撃から平和を学ぶ』
”、、、与える衝撃は大きいが、その大きさが平和を学ぶきっかけとなる。
描写や表現に過度に反応していては過去の戦争と平和のありがたみを
十分に伝えることはできない、、、、“
15歳中学生嬢
『過去の事実を知るために』
“そうやって過去の事実を知るためのものをどんどんなくしていったら
何が「戦争のいけなさ」をこれからの日本に伝えていけるのだろう。、、、
事実を伝えるからこそ本当の幸せを知ることができる、、、、”
このような若い人の見識に勇気づけられる。
「はだしのゲン」は18か国語に訳され、何十年と世界中で読まれている。
日本国内で、政治家、役人を含め、有識者(?)等の、みみっちい的を外れた
論争に、内向きなのは誰?と思ってしまう。
若者を信じ、“大きく行こうよ”と言いたい。
ガラパゴス化しているのは、若者ではない。
暑い夏を楽しませてくれた最後のハイビスカス