人類全体の幸福
2013/06/28
新聞で必ず目を通すページは、投稿欄。
特に、中学・高校生からの投稿には時々深く感心させられる。
先日、心に残った投稿。
「他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない」という理念。
人をおとしめ、自らの利益のみ追求するような愚かさを断固として排除し、
皆で切磋琢磨しあいながら、自分だけでなく人類全体の幸福を築いていく
という意味だと、先生から教わった、、、、、。
18歳の高校生君の投稿。
以前の日本人は、人をおとしめたり、自らの利益のみの追求は恥だと思っていた。
日本人にはDNA的に武士道の義の精神が流れていたように思う。
打算や損得から離れた正しい行い。
最近は、そのような感性は消滅しつつあるように思う。
騙されても自己責任。
得か損で決める合理的精神が行動判断になっている人が多い。
お金儲けがなぜ悪いと云った投資家もいたし、
唯一の被爆国でも、
福島を経験しても、
原発輸出は、経済のためならば仕方ないという人も多い。
また、中国では、
他人を出し抜くことは悪いことではなく、
むしろ騙されるような人は無能であり、
出し抜かれたり、騙された人が悪いという。
私のような昭和の人間には
到底理解不可能。
この高校生君のように、
“人類全体の幸福追求”の実現に向け、フェアに生き抜いていく若者に期待したい。
間借りしている[?]野良ネコ
小学校の英語教育
2013/06/19
昨年から義務化された小学校5年・6年の英語学習。
近い将来、1年生から教科になるように検討するという。
そこで、英語教科必要論が活発化している。
ずいぶん前から殆どの私立の小学校では、低学年から英語を始めている。
リッチモンドスクールの生徒さんは、殆ど私立通学のため、
早くから英語を学んでいて、
確かに発音も良いし、nativeと話すことに抵抗がない。
また、”外人”に“ひかない”。
また、耳から入っているため、
理由が解らなくても、自動的、感覚的に覚えてしまう。
リッチモンドの生徒さんをみていると
10才以上になると、理由が解らないと覚えるのに苦労する。
また、10才になると日本語の聴覚が出来上がりつつあり、
英語の音域の広い音の聞き分け、発音が、難しくなってくる。
その意味では、
出来るだけ早く始めるのは良い。
ただ、国語の授業が削られるのだったら問題があるように思う。
英語は言葉である、コミュニケーションのツール。
国語力、読解力がなければ、言葉は使えない。
公立高校の英語の授業
2013/06/14
今年から学習指導要領が改正され、公立高校の英語の授業は
“英語で行うことが基本”となったとか。
今年から”英語による授業”を1年生から開始し、2015年には全学年に広がる。
英語に触れる機会を増やし、訳読中心の授業から脱却することを目指すという。
コミュニケーション能力に特化した会話中心の授業になるらしい。
どのくらいの教師が英語で授業を行うことが出来るのだろうか?
文法や長文読解、和文英訳、ニュアンスの違い、英語と日本語の違い等、
英語で説明できる教師が沢山いるとは思えない。
幼い子供ならば、理由が解らなくても真似をして覚えてしまうし、
耳から入るので、説明はいらない。
でも、高校生に会話中心の英語
私は、昨年の夏、ある公立中学の生徒さんの補講を申し出た。
学校の成績が芳しくないというので、責任を感じて、
料金なしで来られる時に来てほしいとお母さまに申し出て実現した。
学校で使う教科書を見て、少し驚いた。
文法等の説明が殆どなく、会話中心の教科書。
文法は問題集のようなサブ教科書を使用するとの事。
中学生になると、「どうしてそうなるのか」の疑問がわくと、前に進めない。
日本の英語教育は文法ばかりだから、英語が下手というのは
本当は当たっていないと思う。
中学生になったら、英会話が副読本で、文法はきっちり教えることは必要だ。
高校で16年間英語を教えた経験を持つ寺島隆吉氏(元岐阜大学教授)のコメント。
中学の英語教育が会話中心になった為、生徒の語彙が貧弱になり、和訳などに苦しんでいる。
また、学校教育で必要なのは基礎力をつけること。
使わなければ忘れてしまう会話ではなく、まず、『読む力』をつけること。
「速読」が出来ないかぎり「速聴」は無理。
読む力は書く力の基礎になり、書く力はすぐに話す力に転化できる。
私も賛成; 読む力 ⇒ 書く力 ⇒ 話す力 になる。
話しているだけ、聞いているだけで英語は出来る様にならない。
英会話の授業は別にして、
英語での授業は、専門を学ぶ大学からでも良いように思う。
風知草(毎日新聞;山田孝男)
2013/06/07
謙虚は美徳、卑屈は不毛である。歴史を学び、世界を知り、
自ら行動を慎んで恥じることはない。
歴史認識の発言をタブー視すべきでもない。
右に走らず、左に寄らず、国論をバランスよく束ねらければ、
国家主権の土台が揺らぐ。
上記は毎日新聞の山田孝男氏が「風知草」という題のコラム、「国論の束ね方」で
述べた言葉である。
彼のコラムにはいつも心に響く含蓄のある言葉が羅列されている。
最近のキナ臭い周辺諸国との軋轢は、
日本人の心に、喉に棘が刺さったような感覚をもたらしている。
リッチモンドスクールでは、
中国語の授業もあるため、中国人講師もいるし、
また、多様性を重んじるため、英語の講師は欧米人だけではなく、
英・米・独育ちの韓国人講師もいる。
2・3年前までは、両国の歴史認識や教育、価値観の違い等
何のこだわりもなく、意見交換しあっていたが、
最近は、微妙な問題はなるべく触らないようにしてしまう。
昨今の両国の緊張感は、
私達一般市民にも深く影響を及ぼしていて何だか肌寒い。
歴史を学び、反省すべき点は反省し、云うべきことは言う。
山田氏は「国論の束ね方」の最後に
主権の回復とは好き勝手に振る舞い、言いたい放題言い募る事ではなく、
分別を磨くことであるに違いない。
街のあちこちに紫陽花