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人が亡くなるということ

 

“当初よりステージIV、余命1年の告知を受けておりましたので、
今日の日が来る覚悟はしておりましたものの、
弟を失いましたこの喪失感は何とも言葉になりません。
幼少期より今日に到るまでの二人の生い立ちや、同じ俳優として過ごした日々が思い返され、
その情景が断ち切れず、辛さが募るばかりです。“

 

これは、3月14日に亡くなった渡瀬恒彦さんを悼むお兄様、渡哲也さんのコメントです。

 

先日、姉の3回忌を終えたばかりの私にとって
彼のコメントに涙がとまらない。

 

姉もステージⅣで余命半年と言われたが、4年半生きてくれた。
ガンと共に生きて、人生まっとうするのかと一時は期待したが、
明るく気丈な姉は、全てを受け入れ、
最後まで楽しく生きて旅立った。
70年の生涯だった。

 

姉の死は、自分の存在自体も空虚になり、
身体の中から疼いてくるような想像以上の悲しみだった。
姉がこの世に居ないと思うと、呼吸困難になりそうになる。

 

今でも時々、胸塞がれるような悲しみが、胸の底から這い出してくる。
どうやっても戻れない日々は延々と続く。

 

小さい頃、二人で過ごした数々が思い出される。
誰とも共有できない事柄、日々。

文房具家のおばさん、隣のテルちゃん。
傘を持って、二人片寄せ父を待った改札口。
お揃いのフレーヤーのワンピース。
あつい夏の日。
かぶりついたトマトの味。

 

もう話す相手がいない。

 

 

 

 

 

 

 

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