
広島へ
厳島神社の観月能の前に広島に寄った。
広島は二度目だが、
核兵器廃絶と恒久平和を求めるシンボルとしての原爆ドームを
再度訪ねたいと思った。
広島というと、日本人としてシンパシーを感じる。
沖縄に感じる気持ちと似ていて、
戦争で最も悲惨さを味わい、犠牲になってくれた場所。
真夏の記念式典、テレビで中継される平和記念公園は
修学旅行生で溢れていた。
平和記念資料館は、
一瞬のうちに焼け野原になったCGが流れたり
被爆資料や遺品などが展示されていたが
以前に比べ、きれいに整理整頓されすぎて、
悲惨さや恐ろしさを隠しているようだった。
毎日新聞の日曜版、小川糸の”つまずきの石”から。
ドイツでは歩道を歩いていると金属プレートが埋め込まれ、
亡くなった人の名前、生年月日、命日、亡くなった場所が、
そのプレートに刻まれているという。
ドイツには国中に、戦争のモニュメントが点在し、
”戦争の記録と記憶は常に日常生活の目に触れる場所があるから、
うっかりそのこと忘れてしまうという隙間がない。
“なかったことにしたい事実に覆いをかぶせるのではなく、
自分たちのこれからの平和のためにあえて直視する。“
戦争の残酷さ悲惨さはひたすら覆い隠す日本。
戦争の悲劇が常に人々の目に触れるドイツ。
どちらが平和な国を構築できるのだろう。