title-%e3%83%8e%e3%83%bc%e3%83%99%e3%83%ab%e8%b3%9e

BLOG

2016年の終わりに

2016/12/26


 

私の一年は、毎年サントリーホールの第九で幕を閉じる。

 

第九は指揮者によって解釈の違いか、
聴くたびに全く違った曲に聞こえる。
ドイツの俊英シュテンツは、静寂と激しさを自由自在に使い分け、
テンポ良い、エネルギー溢れた第九だった。

 

感動の第4楽章、歓喜の歌は
独唱の4人の高らかな歌声と、
ピタッと乱れず決まった合唱も素晴らしかった。
ベートーベンの愛読したシラーの詩を引用した喜びの歌は、
自由・平等・希望を歌ったものだ。

 

初演は1824年、
約200年の時を経ても
人間は全く成長していないのか、
歴史は繰り返すのか。

 

ソ連が崩壊し、ベルリンの壁がなくなり、
東欧諸国の民主化、
欧州統合。

 

8年前にチェンジを合言葉に登場した黒人初の大統領のオバマ。
ついに、世界は平和に向かって進んで行くのだと思えた歓喜の瞬間。

 

それは、しばしの夢と化し、
何処で間違ってしまったのか、
世界は逆方向に・暗闇に向かってまっしぐら。

 

閉塞感と無気力、不公平感、また、お互いを罵り合う憎悪の応酬。
先行き不安でいっぱいな年の瀬である。

 

来年は、
この負のエネルギーにチェンジが訪れるような希望が生まれることを切に願う。

 

 

 

 

 

縁起物、郷土人形・芝原人形

だるまを持った招き猫                                                                  大黒様

 

2016122408051520161223142236

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リッチモンドスクールXmas Party

2016/12/09


 

先週末、一足早いクリスマスパーティーを開催した。

 

 

 

DSCF1985 DSCF1977

サンタさんの靴下とセーターで登場のDr.kさん
Dr.Kの今年のone dishは、お櫃に入ったイチゴ煮の混ご飯。
毎年恒例混ご飯、今年も好評、美味しかったです。

 

 

DSCF1973

晴子先生の優秀な生徒さん、Yさん。
Yさんは、リッチモンドスクールの最も優秀な生徒さん。
ほとんど完璧でも、納得することなく、
一段上を目指して飽くなき追求する姿勢は、素晴らしい。
パーティー嫌いのYさんの出席。
無理強いしてごめんなさい、有難うございました。

 

 

DSCF1987 DSCF2006

最も長い生徒さん、Nさん。
Nさんは驚異の文法力・語彙力で、
英語をライフワークのように楽しんで下さっている。

 

趣味のバイオリンを奏でるRさん。
大人しいRさんは、音楽に関したレッスンで重たい口が饒舌に、
英語がスムーズになると、晴子先生の談。

 

そして我らのFさん、大島紬すがた。
FさんとパートナーのYさん(写真嫌い)には、
公私共々大変お世話になっている。
Yさんのローストビーフとゆで豚は、
付け合わせの野菜も、ソースも本格的。
今年のサラダは、かぶ、レシピが人気。
毎年、皆、待ち望んでいる。

 

 

DSCF1995

来年から、海外青年協力隊で、ドミニカへ行く障害児学校の先生、Mちゃん。
Mちゃんは今時に珍しいほどの、素直で真面目で明るい。
私の大好きな女の子。
皆で激励のエールを送る。
ひとまわり大きくなって帰ってくるでしょう。

 

 

DSCF1991 DSCF1996

お世話になっている会社の社長のHさん。
湯島のおでん屋“きたろう”も経営、美味しいので是非。

 

 

 

DSCF1974 DSCF1997

LenaとArniel,
晴子先生とJulian

 

 

DSCF1979

イタリア語の生徒さん。Cさんは英語も得意。

 

 

 

DSCF1976 DSCF1984

 

DSCF1980

新旧生徒さん、Tさん、再開待っています。

 

 

その他に、写真NGの生徒さん達、
ご参加くださり、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Mick先生とDr. Y

2016/11/30


イギリス人のMick先生がリッチモンドスクールを去る。

 

教育学と英文学の大学院卒のインテリ。

日本の歴史から教育、政治にも詳しく、
授業の合間に話すのが楽しみだった。

 

政治的な話では、ほとんど一致するのだが、
EU離脱派だったのには驚いた。
移民問題、治安、福祉、英国内事情は我々には見えない。
立場によって考えは違うのだと、改めて考えさせられた。

 

Mickの授業は、
毎回必ず、その生徒さんの興味のある文章を持って来て、
シャドウイングをさせ、内容を質問する。
その後、その生徒さんに合った教科書を使用しての授業となる。

 

生徒さんのYさんも一緒にお辞めになる。
Y先生は呼吸器外科のドクター。
現在は、日赤本部のアドミニストレーションにいらっしゃる。
私の友人のご主人でもある。

 

彼への授業では、
世界中の赤十字の記事を準備し使用した。
教科書はBusiness Result, intermediate→upper-inter.→advanced
と3年半の間に3冊進んだ。

 

Dr. Yは、
“記事は世界の赤十字の動向が分かりとても興味深かった。
また、教科書は、会議の進め方、マネージメント、意見のとりまとめ等、
内容がとても仕事の役に立って面白かった。“

 

Mickは、足の具合が悪く、通ってくるのが困難になった事。
リッチモンドがもう少し近かったらと残念がっていた。

 

Dr. Yは、
“今年から責任ある立場になり、続けるのが困難だったが、
Mickが頑張っている間は、何とか続けようと思った。
1週間一度、定期的に時間を空けるのは、覚悟を決めなければならない。
緊急以外はかなり優先して時間を作った。
同年代のMickと話すのが楽しかったので続けることが出来た。“

 

Y先生はいつもにこにこ穏やかにお話して下さり、こちらを優しい気持ちにさせ、
お会いするのが楽しみだった。

 

Mick先生もY先生も心から話せる信頼できる人だった。

 

 

 

 

別れはいつも哀しい。
プレゼントはいつも嬉しい。

 

 

2016112914163420161129141615

 

 

 

 

 

 

20161129141235

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教育

2016/11/25


 

「歴史学習の意味を考えた」15歳の中学生の投稿から

 

---はじめは、受験生の自分たちに必要なのは、
歴史の知識を詰め込む授業だと考えた。
しかし年号や出来事を覚えるだけでなく、その時代に生きた人の考えや思いを
理解することだと思う。
歴史の授業を受ける意味は、
過去の過ちを繰り返さないようにするためだと考える。---

 

この歴史の先生の授業は、深く多面的で、
それに答える中学生も理解力・洞察力が鋭く賢い。

 

私が中学生だった頃、
歴史の試験問題は
年号や人物を覚える暗記中心だったような気がする。

 

高校になって、世界史を学んだ時、
女子校には珍しい政治色のある先生のエネルギーある授業で、
世界情勢を熱く語っていたのを覚えている。

 

リッチモンドスクールの幼い生徒さんも、
普段は聞き分けが無い事を言っても、
先生の云う事は、注視して微動だにせず聞いている。

 

小さい子どもにとって先生の言う事はすべて正しい。
また、吸収力もすごい。

 

詰め込み教育の弊害からゆとり教育が生まれた。
ゆとり教育は、生徒の総合力を付けるために生まれたものだが、
教師が、指導要領のない学習に途方に暮れてしまったとか。
教師の力量によるところが大きい。

 

考える授業は、
様々の問題を提議・洞察し、多様性のある考え方を交換し、
偏ることの無い思考や思想を、自分で導き出すことが重要。

 

そのような自由な多岐にわたる発想を持った授業が
今の教育界で可能なのかとても心配だ。

 

 

 

 

 

少し早かった京都の紅葉(11月8日)

 

20161108113330

 

 

 20161107153427

 

 

 20161107114526

 

 

 20161107153036

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

由治講師と再会@大阪

2016/11/11


 

東京で見逃した伊藤若冲を見に、京都に行こうと思い立ち、
大阪で由治さんを訪ねた。

 

以前のブログでも書いたが、由治先生は大人気だった。

 

由治先生はこうだった、ああだったと、

今もってリッチモンドで話題に上る。

 

2歳から14歳までNY、その後受験高を経て東大(帰国枠でなく)へ。

 

彼の家族は大秀才の集まりなのに、
音楽を極めたいという理由で、就職せず、
卒後はコンビニでアルバイトをするつもりだというので、
リッチモンドスクールを手伝ってもらっていた。

 

授業中は、知識溢れる堂々とした授業だが、
普段は大秀才ぶりをおくびにも出さず、飄々として静かに語る。
非常にユニークな人物。

 

また、奥さんも控えめで可愛い。
彼女も一ツ橋卒の才媛だが、
賢さと素直さが際立っており、
生意気さや我の強さが一ミリもなく、
話していて、心にそよ風が吹くように、心地よくさせてくれる女性だ。

 

そして、今回、始めましての4歳になる坊やは、
素直でハッキリしていて可愛くお利口さん。
さすが、親のDNAがギッシリ詰まった坊や。
セットで連れて帰りたかった。

 

カップルの最大の魅力は、
学歴や職業、持ち物やバックグランドに全くこだわりがなく、
心の整理が上手く、いつも平常心。
淡々と自分の信じた道を静かに二人で歩いている。

 

そしてそれは大阪に帰ってからも、結婚してからも変わることがなく、
ますます、磨きがかかっている。

 

現在、時々彼には翻訳をしてもらっている。
彼の翻訳は、nativeにnativeより美しく格調高いと評判だ。

 

彼がリッチモンドのスタッフとなってくれたことは、私の宝、感謝している。
彼の頭脳だけでなく人間性に強く魅了されている。

 

 

 

 

 

 

お土産の英語の本にビックリ

20161106140911

 

 

得意のポーズ

20161106150051

 

 

幸せファミリー

20161106150158

 

 

 

 

お金をかけずに暮らす ― 日曜日ですよ!小川糸 (毎日新聞)

2016/10/24


 

ある土曜の朝、
生徒さん、先生が教室に入るなり、
”あの行列なんですか? 延々と続いて凄い人ですよ。
しかも男の人ばっかり!“

 

表参道は行列の名所。
行列のできる何々、は数か月間長蛇の列。
知らぬ間に消えていき、また別の行列が・・・。

 

作家の小川糸さんが、ベルリン事情を毎日曜日掲載している。

 

“ベルリンにいて楽なのは、お金を使わなくちゃ、
という強迫観念にかられないことだ”

 

“ベルリナーにとって、いかにお金をかけずに楽しく生きるか、
というのが人生の大きなテーマになっている”

 

”日本にいると、お金を使って消費することこそが、
幸せになることだと信じ込まされているふしがある“

 

確かに、お金を使って景気を良くしようという風潮はまだ根強く、
あの手この手で、企業は我々の購買意欲をかきたてる。

 

マクドナルド初上陸を知っている私の世代は、
消費が文化、の時代を経験し、
始末しきれないほどの物に埋まれている。

 

まずは、物を増やさない生活、
お金をかけない幸せ探しを始めよう。

 

 

 

 

 20161016114444  20161016114546

 

 

 

 

東北(2)

2016/10/12


 

津軽海峡冬景色で有名な竜飛岬。
上下左右から一年中風が吹き荒れている竜飛岬。

 

青函トンネル工事中は
ここに学校や病院、役所が建設され一つの街になっていた。
ザ・公共事業で一時は賑わっていたらしいから
公共事業も経済効果があった時もあったのだろう。
今はすべて取り壊され、観光地となっているが、訪れる人は少なく閑散としている。

 

貧乏な過疎の最北の地、津軽半島。
人は殆ど見当たらず、ひっそりと悲しげだった。

 

厳しい自然条件のもと、農業や漁業に従事する若者は減る一方。
みな都会に出て行くのだろう。
でも都会に出たところで満足な生活が待っているはずもなく、
末路は憐れなものではないか。

 

物を作って売って、資源を減らし、地球を汚し、
都会に溢れる儲けることが第一の経済偏重。

 

経済成長と呪文のように唱えている人々は
人間の本質的のところが、全く見えていないのではないか。

 

みながITや製造業に従事し、
畑を耕す人が居なくなったらどうなるのだろう。

 

食が肝心要、
土地を肥沃にすること、
農業・林業・漁業等に光を当てること。
それをしないと、日本の将来は無い。

 

都会のネオンの喧騒がひどく空疎だ。
あの不毛な大地に立って、明日の事を考えよう。

 

経済成長幻想は終焉を迎えているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

20161004115400  20161004113223

 

20161004114117  20161004113032

 

 

 

 

 

東北(霊山から原発まで)

2016/10/07


 

先日、初めての本州最北端に行った。
八戸から恐山へ、マグロで有名な最北端の大間岬、竜飛岬と、
下北半島と津軽半島を網羅し、青森駅から帰京した。

 

奥入瀬や弘前の桜は観光客にも人気で賑わっていた記憶があるが、
初めての半島は、寂れに寂れていて物悲しかった。
見捨てられた地の果て感。

 

始めに向かったのは霊場恐山。
八つの山に囲まれた宇曾利湖の白浜は極楽に、
火山ガスの排出する岩肌は地獄に例えられ、
この世とあの世の境目と云われている。
硫黄ガスが噴き出す荒涼とした賽の河原に風車がカラカラ回っていた。

 

宿坊は新しく清潔で、
磨き抜かれた朱色の器に入った精進料理はどれも自然の風味満点、美味しかった。
一堂に会した食堂で、白人の青年がひとり、黙々とお箸を使って食べていた。

 

彼はタスマニア生まれ、メルボルンで働いている25歳。
函館に始まり比叡山延暦寺まで、3か月の霊山めぐりをしているとのこと。
恐山の次は出羽三山に行くと言う。
興味を持ってくれて、日本人を代表してありがとう。
何だか嬉しい。

 

恐山を後に、長い間の風雪で作られた巨大岩の数々の仏ヶ浦を通り、
本州最北端、マグロで有名な大間へ。
大間マグロは美味しかった。

 

そして大間原発。
ガイドさんが複雑な胸の内を明かした。

 

“色々考えはあるし住民の中でも賛否両論。
でももし、大間原発が第2の福島になったら、
30キロ圏内、私たちはみな、この半島を捨てなければいけない。“

 

「あさこハウス」
原発の炉心から300mにある民家。
用地買収に決して応じなかったあさこさん。
68歳で突然亡くなり、現在は娘さんが継いで戦っている。

 

荒涼として何もない北の果てに、好都合とばかりに、
飴と鞭で住民を翻弄し、原発を誘致する。
あまりに酷すぎ、悲しすぎる。

 

都会に住む者は、決して他人事と思ってはいけないと思う。

 

 

 

恐山

20161002170011

 

 

 

 

20161002170147 20161002171334

 

 

20161002172145

 

20161003072217

 

 

仏が浦

20161003111510 20161003111437

 

 

大間

20161003132317

 

 

 

 

Native Speaker

2016/09/23


 

時々、電話の問い合わせで、

「先生は全員nativeですか?」

「子供時代から30年くらい外国に住み、nativeより英語が上手な先生もいます。

そういう場合は、nativeと言いますが・・。」

「分かりました。・・・・」電話が切れる。

 

30年前、リッチモンドスクールを始めた頃は、
“外国人の講師”を唱っていた。
世の中の風潮として、“外人=青い目・白い肌”が英語の先生だった。

 

現在、リッチモンドスクールの英語講師は英・米・加・と日本人が二人いる。

 

H先生は、小学校がアメリカ、高校がアメリカ、フィリッピン、
その後、外交官のご主人と、ロシア、インドネシア、フランス、
30年以上、外国滞在、大学は日本のため教師免許も持っている。

 

文法・ニュアンス・発音・日本人の苦手箇所の把握・知的レベル、
何れをとっても勝っている。

 

また、もう一人のL先生は、W大学の学生。
日本生まれの日本育ちのブラジル日系五世。
教育はアメリカンスクール。
頭脳明晰・明瞭闊達・責任感・何をとっても卓越した能力を持っている。

 

二人ともまったくnativeに劣らない、むしろ優れている。

 

以前、チャイニーズフェースの講師を生徒さんに説明するとき、
“マレーシアンチャイニーズのオーストラリア人”と言ったら、
”オーストラリア人だけで良い“と、それを聞いていたアメリカ人に注意された。

 

アイデンテイテイーの問題ということなのだろう。

 

大分改善されたと思うが、
英語を学ぶのは、肌の色や容姿・国籍・何々人という事に拘る人がまだ居る。
優れた人・劣った人は国に関係ない。

 

昨今、ダイバーシテイーに対して後退しているようだ。
そういう事がヘイトスピーチにも繋がると思う。

 

 

 

 

夏の名残

20160828112050    20160914121753

 

 

 

 

 

 

 

灼熱の夏の終わりに

2016/09/14


 

元来、身体は丈夫な方で

食べ過ぎ、飲み過ぎで具合が悪くなる程度だったが、

今夏は、違った。

 

激しい嘔吐に始まり、腹痛から腰痛、頭痛、多発した口内炎に、

すっかり体力を消耗してしまった。

 

何らかの菌に感染した結果らしいが、

これが世にいう夏バテなのかしらと嘆いていた。

 

また、悲しいかな、年と共に回復力が遅く、

免疫力も低下したまま。

 

そうなると、やる気も起こらず、ますますlazyに。
気力体力の戻りは、涼しい秋を待つばかり。

 

ここで天皇陛下を持ち出しては失礼だが
体力の衰えは抗えないもの。

 

「生前退位」の英訳抜粋の説明を、ロバート・キャンベルさんが新聞で述べていた。

 

英文は、原文より鮮明な意思表示になっていて、
陛下の考えや苦悩が海外でも理解されるだろうと説明している。

 

In coping with the aging of the Emperor.
I think it is not possible to continue reducing perpetually
the Emperor’s acts in matters of state and his duties as the symbol of the State.

 

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、
その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、
無理があろうと思われます。

 

 

It occurs to me from time to time to wonder whether it is possible to prevent such a situation.
こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

(宮内庁の英訳文から)

 

今週は涼しくはなったが、
多発する台風の影響で雨が降り続いている。

 

爽やかな秋晴れが待ち遠しい。

 

 

 

 

20160914121820  20160914122307

 

 

 

20160914122127

 

 

 

 
お問い合わせ