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ジャーナリスト
2015/01/31
このブログを書いている間にも、変化があるかもしれないが
日本中、ひっくり返ったような騒ぎになっている。
「”自己責任“だから、同情できない」
「勝手に行ったのだから、関係ない」
「危険を承知で行った人に、我々の税金を使う必要はない」
そのような意見がかなり聞こえてくる。
海外では決して、そのような声は聞かれないとか。
日本人は冷たいという報道もかなりみられる。
紛争地帯や、戦争地帯を報道することは重要な事。
戦場ジャーナリストが、
危険だと言って放っておけば、
何も伝えられず、
酷いことが起こっても世界から見放され、人権が守られない。
ソマリアの様にあまりに危険だったため、
惨状を伝えるジャーナリストが逃げ、
虐殺など人道問題が続いていて、世界から見捨てられた。
危険を顧みず、我々に惨状が届けられることで、
他国の目が向けられ、人権が守られ、人道支援の輪が広がり、
世界平和への一歩となる。
中東では、中立とみられ好かれていた日本人が、
積極的平和主義とやらで、西欧側に巻き込まれてしまった。
今後、我々日本人の立場はどうなるのか?
グローバル社会で賢く生き抜く知恵を、
為政者は慎重に考慮して行動して欲しい。
明治神宮初詣
凛とした気分になる。
読売交響楽団
2015/01/26
読響の会員になって5年になる。
定期演奏会やマチネーシリーズがあるが、友人と二人で入っているのは
“サントリーホール名曲シリーズ”。
年に11回のコンサートを楽しめる。
以前、サントリーホールに隣接するIntercontinental Hotelで
開演前にシャンペン飲み放題付きディナーに行き、
第九の大合唱を聞きながら、良い気持ちでスヤスヤと。
それ以降は、始まる前の食事では決して飲まないことにしている。
また、休憩時間にワインをオシャレに傾けると、後半は睡魔との闘いになる。
昔、ロンドンで友人が用意してくれたバルコニー席でワインを飲みながら
オペラを鑑賞した時も、爆睡してしまい全く猫に小判であった。
そんな数々の失敗にもめげず
5年もクラッシック鑑賞を続けている。
今月は嬉しいことに
高校時代にリッチモンドスクールで英語を習っていた
マリンバ奏者の小森邦彦さんが客演した。
彼は現在、国際的に活躍していて世界で注目されている。
彼の奏でるマリンバ独特の音色のお蔭で、
昨日から胸につかえていた鉛がスーと解け、
心が軽やか、微笑みになった。
そして後半は、
下野竜也さんの渾身のタクトで、マーラー第5番。
トランペット、ホルン、数々の管楽器、打楽器、ハープ、
舞台いっぱいのオーケストラ。
溢れるほどのエネルギーを感じ、
元気溌剌になって帰途についた。
カラヤン広場
Je suis Charlie — I am Charlie
2015/01/19
フランスでの惨劇は
日本でもどんよりとした深い悲しみに包まれた。
表現の自由とテロへの脅威に屈しないというスローガンのもと、
ヨーロッパの首脳が腕を組んで悲痛な面持ちで行進した風景は感動的だった。
(裏にはいろいろあるらしいが、、、)
日本では、
その風刺漫画は、遠い出来事で理解が難しい。
日本の何人かの有識者が、
風刺が宗教に関してあまりにも行きすぎると、憎悪を買うだろうと言う。
フランス革命後、
風刺画は国民が権力者を批判する手段であり、表現の自由は守られている。
日本では、皮肉とか風刺とかに対して苦手である。
皮肉を上手に返すことは、下手だし、
風刺漫画もかなり控え目だ。
また、相手への配慮は守るとか。
サザンの桑田佳祐の歌詞に問題があるとか、大騒ぎになり謝罪。
“表現の自由”はどこに。
リッチモンドスクールの英国人講師に聞くと、
シャルリー・エブドは行きすぎではないと言う。
ただ、英国では、
権力者に対してはOKだが、宗教に対しては微妙らしい。
問題は、
このことで、一般のイスラムの人々や、移民の人々が差別を受け、
憎しみの連鎖が起きることが心配だ。
恒例となった、トモ爺さん夫婦のご案内で成田山初詣。
黒龍のお酒が映える酒器
美味な食事に舌鼓、トモ爺さん、ご馳走様
New Year’s Resolution
2015/01/07
新年の抱負 ~ 沢山笑える一年でありますように
生徒さんから頂いた年賀状の中に
“沢山笑える一年でありますように”と言う言葉が目を引いた。
今年は、この年賀状のように、
怒り・不安・悲しみは、笑い飛ばそうと気合を入れた。
資本主義のほころびが見え始め、
ますます広がる格差に心が痛み、
2015年がとても明るい年になるとは思えない。
「今だけ、カネだけ、自分だけ」、という“3だけ主義”が
蔓延っていると云われている。
特に地位の高い立場の人や、為政者、合理的な経済学者に多い。
TVで、したり顔で一説を説いているそのような人々を見ていると、
ムカムカ、イライラ、怒鳴りたくなる。
お正月は、
ケーブルTVで、お気に入りの英国ミステリー*を見続けていたが、
ふっとチャンネルを変えると、
地上波は、どのチャンネルもお笑い芸人の馬鹿笑いばかり。
でもその中で、やはり面白い人の話は楽しい。
彼らには、意識せずに発想の転換ができる才能があるようだ。
今年は毛嫌いせずに、
世の中に流行っているという芸人の話術や発想に大笑いし、
“怒り”を笑いに変えられるよう発想の転換を学ぼう。
*英国ミステリーは
ミス・マープルに始まり、刑事フォイル、バーナビー警部、フロスト警部等、
英国の美しい田園風景をバックに、
英国人独特のユーモアとセンスのある会話で推理を紐解く。
英語の勉強にも最適。
2014年
2014/12/22
今年もあっという間に通り過ぎた。
今年のリッチモンドスクールのニュースは、
子供からビジネスまで、20数年間教えてくれていた
超人気の美人講師Heather先生が女子中高校に正職員として
採用され、リッチモンドスクールを去って行ったこと。
彼女を20代前半から知っていたので
紆余曲折の歴史を一緒に歩んできた。
リッチモンドには痛手だが、
イギリス人の彼女にとっては、最高のチャンス。
真面目に取り組んできた成果が報われた。
Heatherの成功を陰ながら応援しよう。
児童クラスの新講師は、ぐっと若い。
エネルギー溢れているお子さんたちに接するのは、
同じように元気全開の若者講師が最適だ。
ジェネレーションギャップのある若者を採用するのは目利きが必要。
そこは30年近くの経験がものを言う。
Felix, Lena, Shokoと
知性溢れる元気な彼、彼女のレッスンは頼もしい。
来年は
彼らがリッチモンドスクールに多大な貢献をしてくれるだろうと、
楽しみにしている。
そして皆様には、
“継続は力なり”
あきらめずに、一歩一歩、必ず前進する。
来年もよろしくお願い致します。
今年もJIM-NETのチョコ募金
イラクの子供たちの描いた絵
Richmond Christmas Party ’14
2014/12/10
恒例リッチモンドスクールのクリスマスパーティーが
今年もまた、にぎやかに楽しく終了した。
表参道のイルミネーションの喧騒と、
リッチモンドのパーティーが終わると
来年に向かって追い立てられるような気分になる。
パーティーでホストをして30年近くなっても
終わってみると後悔ばかりで猛省する。
ああすれば良かった、あの方にこう言えば良かった、
あの方とあの方を紹介すればよかった、
もっときめ細かに配慮すべきだったとか、
山のようになった残骸を片付けながら、
二日酔いでどれどれの中、また今年も懺悔の数々。
そんなリッチモンドに長い間お付き合いくださる方々には
本当に感謝している。
この喜びがいつまでも続くようにと、そっと神様にお願いする。
そして皆様に、
Merry Christmas!
手作り料理の数々
一家で参加は感激、また、来年もみんなで来てね。
頼もしい英国人先生たちとアメリカ人元先生
今年のワインの消費量は凄かった50本はゆうに超え
今はタイで博報堂の社長になっているEzraと彼の元生徒さん
日本とイギリスの議会制についての白熱議論
パーティー風景
議論、論争-controversy
2014/12/05
リッチモンドスクールのイギリス人の先生が、
日本人は論争が出来ないと言う。
議論では、怒鳴り合って喧嘩しているようだと。
欧米では、幼稚園から人前で発表をすることが求められる。
度胸も付くだろうし、いかに効果的に自分の考えを伝えられるかが
身につくだろう。
日本では、
ディベートや、異なる意見の議論の戦わせ方、
人前でのパーフォーマンスや、
プレゼンテーションと言うような、
表現力を養う教育は受けなかった。
今は、少しは改善されているだろうが、
小さいころからその点で揉まれている欧米人には到底かなわない。
国会でも、とうてい論争などとは言えない。
お互いの論点を戦わせるのではなく、
論点がずれまくり、全くかみ合っていない。
下品なヤジが飛び交い、うるさく怒鳴り合っている。
ずっと以前見た光景で、
イギリスの国会で、イラク戦争の論争中ブレアがやり込められ、
彼は、飛び交うヤジに対し、“Thank you” と苦笑しながら言った。
この反応が、日本人にはなかなかできない。
また、ヤジもsarcasticでユーモアに溢れている。
日本の国会では、
反対意見を言われると、受け入れることが出来ず気色ばむ。
大人の対応が出来ない。
悲しいかな、日本はまだ議論後進国なのだ。
晩秋の銀杏並木
格差
2014/11/26
意味不明な解散で、ただでさえ落ち着かない師走に向かい気持ちがざわつく。
何をしているのだ、政治家の先生方(?)と叫びたくなる。
かつて日本は“一億総中流”と云われ、先進国中、最も格差がない国だった。
アベノミクスとやらで、昨今は、富める者はますます富み、
貧しい者はますます貧困に。
trickle-down theory (トリクルダウン理論)
富裕層が豊かになると貧困層にも波及し富が行き渡るという理論。
今や、トリクルダウンは古い経済政策と云われている。
格差は広がるばかり、決して富が上から下に、とはならない。
オバマ大統領やオランド仏大統領らは、
「貧困」「格差」「不平等」を切実な問題ととらえ、
向き合わないと経済成長も社会の安定もないという考えを示している。
(毎日新聞)
「貧困」「格差」「不平等」
士農工商、ヒエラルキーの江戸時代を彷彿させる。
後、数十年すると人口は江戸時代と同じになってしまうらしいから、
時代は逆行し、経済格差だけでなく、情報格差も加わり、
一般庶民は疑問も持たず持たされず、
貧困者はずっと貧困に甘んじていなければならないなんて、
真っ暗な日本の未来だ。
今のままでは、そうなるのは時間の問題だ。
何とかしなくては。
せめて選挙には行かなくてはね。
お酉さま(宮益坂の御嶽神社)
安楽死 ‘Death with dignity’
2014/11/14
‘Death with dignity’ advocate dies in Oregon
(Japan Times週刊STより)
安楽死を宣言していた29歳の末期がんの女性がオレゴン州で
医師の処方薬で亡くなった。
彼女は、何人もの医師に診てもらい、数か月かけて出した究極の結論が
尊厳死だった。
彼女の選択を自殺だとの批判もあるらしいが、
彼女は〝自分は死にたくない、がんに殺される″と
インタービューで言ったそうだ。
日本では認められていない安楽死はアメリカにも数州しか認められていない。
世界でも数か国しか認められていない。
20数年前、私の母は壮絶な痛みと戦い、苦しみの中、ガンで亡くなった。
昔の人だった母は、堪えることは運命だと思っていた。
全身がん細胞に侵された身体で、毎日、頑張るわ、と言っていた。
息を引き取ると、苦しみから解放された美しい母の顔が現れた。
それでも残される側は生きていて欲しいと願った。
母の闘いは自分のためではなく、
私達、残される者のために頑張ったのではないか。
アメリカでいう安楽死、尊厳死は医師による自殺幇助を意味し、
日本の尊厳死は、アメリカでは自然死を意味するそうだ。
自然死は医師が積極的に延命行為をしないことで、
医師による死への導きはない。
欧米では尊厳死の合法化への議論が盛んだ。
日本では、自然死(尊厳死)が漸く認められ始めているが、
延命措置を行わないと決断するのは、非常に難しいと思う。
深まる秋の表参道
イスラム国
2014/11/07
ISIS;イスラム教スンニ派の過激派武装組織
最近、イラクとシリアの大部分を制覇している。
エボラ熱旋風と言い、
世界を震撼させる出来事が続いている。
エボラ熱も脅威だが、何とか出口が見えそうだ。
それに較べ、イスラム国は世界中から青年をリクルートし日々拡大している。
油田も押さえているので、お金も潤沢にあるとか。
武器と資金を持った残虐なならず者国家。
映画の世界でよく目にするモンスター、恐怖の世界。
イラクを叩いてしまったアメリカ、ブッシュ政権に重大な責任がある。
どうしてくれるの?と言いたい。
欧米の華やかな世界の隅で、
豊かさを享受できない格差の広がる世界に絶望的になる若者が
破壊主義に憧れ、先進国社会からイスラム国に参加する。
資本主義の歪みがこのような人々をつくってしまったのではないか?
おりしもアメリカではオバマ政権が敗北宣言。
共和党の強いアメリカ、経済優先のアメリカ、勝者優先のアメリカに、
自分さえよければ精神で、どんどん世界は利己的な方向に進んで行く。
強い日本を取り戻すと言っている誰かも同じ。
世界は終焉に向かっているような気がする。