title-%e3%82%b9%e3%83%88%e3%83%ac%e3%82%b9

BLOG

山田太一の世界

2015/06/17


新聞に脚本家の山田太一さんが

”創作の原点—戦後70年“で今を語っていた。

 

彼は戦争で母、兄、家を無くし、生活が一変した経験から

社会を見つめ続けている。

 

彼の脚本の登場人物たちは、普通の市井の人々で、話す言葉は、優しく温かい。

日常の当たり前の言葉で心のひだを丁寧に描いている。

聞いているとズシンと心に落ちる。

 

彼は云う。

決めゼリフが痛快なキャラクターが受けると。

そして、スポーツ中継に国を挙げて熱狂する「高揚感」に

違和感を抱いていると。

 

“戦争中も高揚感が許した非リアリズムが世の中の空気を支配した。

「爆撃をバケツリレーで消そうとしたり、

上陸した米兵と竹やりで戦おうとしたり、

何という非リアリズムの世界で日本人は生きてきたのか」”

 

視聴率の高い番組の主人公は

面白おかしい決め台詞を言う。

じっくり聞かせるセリフは皆無。

 

軽薄短小。

ゲームでバーチャルの世界で遊び、

深くものを考えることなく、

マイナスな事に向き合わない。

 

非リアリズムの中で生きているのか。

Image 41

Image 42

はとバスの旅

2015/06/08


以前にもブログに登場した中高の同窓会役員経験者の同窓会で

「潮来・佐原の水郷あやめ祭り」の日帰り旅行に行った。

 

メンバーは8名、今回は6人の参加となった。

出発は浜松町に8時集合。

朝食のパンと飲み物を売店でゲット。

英語が超上手なレジの方(後期中年おばさん)が、

外国人に、笑顔で軽口をたたきながら、キーを叩いていた。

その絶妙なやり取りに、一瞬、ここはどこ?

グレイハウンドのターミナル?

 

始めの目的地は銚子・犬吠埼灯台。

世界灯台100選、日本灯台50選に選ばれた。

九十九里海岸にちなみ階段は99段、登りきると太平洋が一望できる。

 

Image 43

Image 44

 

昼食後は潮来十二橋めぐり。

昔懐かし船頭さんが、

利根川下流の狭い支流にかかるオモチャの様な橋の下を器用に櫓を漕ぐ。

 

Image 46 Image 47

 

最終目的は水郷佐原の水生植物園

嫁入り舟に乗り、

水面に広がった蓮の葉やアメンボウを見ながら、

一面に広がった満開の花しょうぶを堪能。

残念ながら早起き蓮は午後には花を閉じる。

蓮の花を見ると良いことが起きる感じがして大好きな花の一つだ。

 

Image 48

Image 50

Image 51

Image 52

 

解散は東京駅

名残惜しくて夕食も、という事になり丸ビルでディナー。

お別れしたのは9時少し前。

たっぷり12時間のお楽しみだった。

 

この会は、一年に2回ほど行われる。

私が一番のジュニア。

ころ良い距離感を持って、優雅さと見識に溢れた先輩たちと接する機会は、

私の一つの財産になっている。

元気でいましょうを合言葉に、お別れした。

新国立競技場

2015/05/26


国立競技場の付近は

神宮の森に囲まれ、都心には珍しい緑あふれる美しい場所である。

 

そこに、あのユウホウのような形をした新国立競技場が建設される。

あの場所にはマッチしないと誰の目にも明らかだった。

臨海エリアなら、まだしもである。

 

建設費の予算が1300億円からザハ・ハディト氏の設計通りだと3000億、

縮小して1700億円、

維持費が年間35億円

 

コンペの結果にも問題があり、

当初から疑問の多い不評な新国立競技場だった。

 

素人の私でも疑問ばかりの競技場。

専門家の友人たちは、

毎週、会合を開いて反対運動をし、陳情に行ったりもしていたが、

結局、国立競技場は取り壊され、

無残な空き地になってしまった。

 

都市開発等の問題が全く無視された案であること。

予算がかかりすぎる事。

デザインがあの場所に合わないこと。

開閉式の屋根は、一昨年の大雪のような気候に対して弱く、

屋根が落ちる可能性がある事。

8万人のイベントがはたしてあるのか?

収容人口の交通手段が未定。

維持費がかかりすぎる事。等々。

 

懸念した通り、

予算が大幅に高騰するため、開閉式の屋根の設計は延期。

収容人口も縮小した案に変更されるらしい。

 

迷走の新国立競技場である。

 

神宮の森の風景になじんでいた競技場が消え、

膨大な税金が投入された、グロテストなコンクリートの塊が現れると思うと

憂鬱になる。

 

Image 31

Image 32

Image 33

自然について~ 対談:加藤登紀子とC.W.ニコルから

2015/05/18


ニコルさんは英ウエールズ出身のケルト人で

ケルトは、森の文化や海の文化があり神様が沢山いるところとかが、

日本と文化的に似ていると感じているとか。

 

彼が53年前に日本に来た時、

「あの花は生きているから踏まないで」

「花の気持ちになりなさい」

とか言うおばあちゃんの言葉に懐かしさを感じたと。

 

私はウエールズには行ったことはないが、

ケルト人の住むアイルランドには行ったことがある。

 

妖精の住むアイルランド、アイルランド神話が示す通り、

アイルランドの神秘的な大自然に、未知なる感情が震えた。

 

日本でも

山や海に神仏が宿っていると云われ、

山道にはお地蔵様が鎮座し、

大自然の中では、癒されると共に、どこか畏怖さえ感じる。

 

しかし、ニコルさんは、

日本の自然破壊が急速に進んでいることを危惧している。

 

森林破壊は、

地球温暖化はもちろん

地球上全ての生態系に影響し

森の破壊は海の破壊にもつながる。

 

都会に居ると森林破壊は身近な問題ではないが、

危機感を持って、心に留めておきたい。

 

 

近所の玄関先

Image 34

Image 35

政治家の英語

2015/05/10


安倍首相がアメリカ両院合同議会で英語の演説をしたことが

国民には高く評価されている。

スタンデイングオベーションが○回で拍手が鳴りやまなかったとか

マスコミも大分持ち上げている。

 

テレビのコメンテーターも、

英語のスピーチは日本人として嬉しいとか、素晴らしいとか。

 

アメリカの新聞には、

カンペがしっかり映し出されていた。

此処で顔を上げる、間を置く、ここで○秒待つ、とか

子供の発表会でもあそこまでしないような細かい指示が書いてあった。

 

聴衆はみな下を向いて、スピーチ原稿を見ていたのは、

彼の英語は80%しかわからなかったとのコメントに表れていた。

 

リッチモンドスクールの英語の講師たちに聞いたところ、

内容はさておき、

発音、イントネーション、受け狙いのユーモア、滑舌の悪さ等々、不評、

努力賞かな、が大方のnativeの反応。

中には、聞いていて恥ずかしくなったので途中でやめた。

と言う講師もいた。

 

Awayで堂々としていたことは褒められるが、

英語として成り立っていたかは疑問。

 

カタカナ英語でも堂々としていたら良いとは思うが、

反面、あれならば日本語の演説の方が良かったとも思えてしまう。

 

やっぱり英語は難しい。

付け焼き刃ではねー。

 

政治家を目指すのであれば、

Nativeのように話せなくても

せめて通じる英語を話せるように勉強して欲しい。

 

 

百花騒乱の我が家

Image 36

Image 37

Image 38

Image 39

Image 40

芸術に癒されて

2015/04/22


私事ですが、

近親者が亡くなり、

深い喪失感と、心が折れてしまったまま、

うちひしがれた状態が続いている。

 

華々しいところに出る勇気は無く、

お誘い頂いたパーティーは殆ど断っている。

 

以前より

都民劇場と読売交響楽団の会員になっているため、

月に一度のコンサートと演劇は、否応なくチケットが送られてくる。

 

気が進まないまま、藤山直美の喜劇を観に行った。

彼女は父親からDNAを全て受け継ぎ、天才的な喜劇役者。

以前見た、亡くなった勘三郎とのアドリブ応酬の舞台は、

今、思い出しても可笑しい。

 

藤山直美のバカバカしいまでの可笑しさは、

一時、私の心を和ませてくれた。

 

また、読響のコンサートは、

R.シュトラウスの「英雄の生涯」は壮大なイメージが、

ブルックナーの交響曲7番は、響き渡る音の世界に身を包まれるような感じで、

また、バリトンの小森輝彦さんの荘厳な歌声は、

心の奥深く浸みわたり、心が震えた。

 

津波で家族を亡くし、深い悲しみにいた人々が、

音楽に慰められたと言っていたが、

今は、その気持ちがはっきり分かる。

 

このように日々癒されて、悲しみを奥深く埋め込みながら、

前に進んでいくのだろうか。

Image 25

Image 26

 

子供の声

2015/04/10


また毎日新聞から

”子供の声を騒音と感じる寂しさ“ by 松尾貴史さん

 

子供の声がうるさいと言う住民の反対で保育園が開設出来ないという。

反対する住民は上品で優しそうな人たちで、「あら、可愛いわね。いくつ?」

と声をかけそうな人たちだとか。

 

― 子供の声を「騒音」だと思うような人が増えてしまっているという悲しさ、

寂しさを禁じえない。― と彼は言う。

 

確かに電車の中でのヒステリックな泣声や、大声で騒いでいる子供を見ると、

うるさい、静かにさせて、と顔をしかめながら親を見てしまうこともあるが、

住宅街など路地裏で聞こえてくる子供の甘いイノセントな声には癒され、

自然と笑みがこぼれる。

 

母親に、また友達どうしで可愛らしい事を言っている声が聞こえてくると、

思わず声をかけたくなってしまう。

(散歩中の犬には声をかけられるが、子供に声をかけると誘拐犯と勘違いされるので

我慢しているが・・・)

 

松尾氏はまた、賛成派のコメントも紹介

「子供たちの声は、将来の希望の声ですよ」

 

子供たちの声をうるさいと思わず、子供たちの声に癒されるように、

大きな優しい気持ちでいたい。

 

 

平成中村座

Image 27

Image 28

Image 29

読み聞かせ

2015/04/01


毎日新聞“柳田邦男の深呼吸”で

「親子の心育て」絵本の読み聞かせについての記事に注目した。

 

― 読み聞かせは、リズム感と感情のこもった肉声が聴覚を通じて脳内に響き、

人物あるいは動物の表情を読み取り、色合いや細部を楽しむ。

もたらされるものは、

①言葉の発達

②きめ細かな感性・感情の発達

③文脈理解力

④他者の心への理解力

⑤親も心が穏やかで優しくなり、子供の心に安定感をもたらす

 

最近、様々な場所で読み聞かせが盛んだ。

本の面白さを知ることで、スマホの世界から離れ、

読書家になる子供が増えれば、思慮深く想像力豊かな大人になり、

世の中が良い方向に行くだろう。

 

私事だが、読書好きの姉が長年小学校で読み聞かせをしていて

“おばちゃんの本が一番面白い”と言われたと自慢していた。

本好きの人は、

深く本の内容を読み解くことが出来るため、読み聞かせも上手なのだろう。

 

リッチモンドスクールの子供教室でも

絵本を読み聞かせして英語の世界を身近に感じてもらう授業も

取り入れている。

子供たちは絵本を開くと、目が輝き、じっと耳を澄まして聞いている。

好奇心いっぱいのその様子は本当に可愛い。

 

Image 30

ドイツには真理と正義が

2015/03/23


メルケル首相は、来日し脱原発を決意した理由について

「素晴らしい技術水準を持つ日本で事故が起き、

本当に予期できないリスクがあることが分かった」と語った。

 

ドイツは、福島の事件で原発を止めることを決心し、

事故を起こし世界中を混乱におとしめた日本が原発再稼働を決める。

奇妙ではないか?

日本ではその責任を取らないのか?

 

また、戦後処理に関して、

ドイツが欧州で和解を進められたのは

「ドイツが過去ときちんと向き合ったからだ。

隣国(フランス)の寛容さもあった」と述べた。

 

ドイツは、戦争責任を認め、過去の誤りと反省を諸外国に示したことにより

近隣諸国と平和を築けた。

 

ドイツ人にはあまり馴染みがないが、

メルケル首相の会見を聞く限り、

ドイツには真理と正義がある。

 

かつて医学、科学、音楽、文学どの分野においてもドイツは優れていた。

ゆえに、昔の日本の知識人はドイツ語を話した。

 

アメリカが世界の警察ではなくなった今、

メルケル首相は

欧州だけでなく世界を牽引して指導力を発揮している。

人間として女性として頼もしい。

 

ドイツ語もやらなければ・・・。

 

 

スイスの大使公邸を移築した翠州亭@千葉県

Image 16

Image 17

Image 18

Image 19

想像力の欠如

2015/03/11


近ごろ足りないことだらけ。

人を思いやる心。

 

13歳の中学生が殺され、

加害者の少年たちに被害者の恐怖や気持ちを想像できなかったこと。

今になって、とんでもないことをしたと、言っているとか。

 

目の不自由な人を、足蹴にして恐怖に陥れてたり、

お年寄りや弱者に対し、

邪魔者扱いするような態度をしたり、

彼らがどんな思いで、諦め我慢しているか想像できない人。

 

戦後70年、平和を維持し世界から称賛を浴びてきた日本が、

列強と並ぶような、勇ましい挨拶をしたら、

諸外国からどのように思われるか想像できないこと。

 

想像力の欠如は、

書物を読み、歴史を学び、先達に学び、知識を広めること等の不足。

 

上も下も欠如した人間だらけ。

 

中曽根元首相も

「ようするに歴史的思考っていうものがなくなった。

現実的な明日をどうするっていうのはあるが、

哲学を背景にした深い思索を持ったものがない。」

 

歴史を見返し、過去から学び、

哲学を持って、深い思索をし、

そこから未来を見据える。

 

“今、目の前にあるもの”しか見えていないから、

気が付いた時には、

とんでもないことをした、

とんでもない方向に行ってしまった、

となる。

 

道徳を教科にするなら、

歴史や哲学からの洞察力を学ぶようにして欲しい。

 

つつましく満開になった梅、可憐で綺麗。

Image 20

Image 21

Image 22

 
お問い合わせ