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BLOG

英語教育

2018/02/02


 

英語教育の大御所、鳥飼久美子さん著の「英語教育の危機」の書評が、
毎日新聞に掲載されていた。

 

彼女はかねてから、
”日本人が英語を話せないのは、文法と長文読解ばかりやっているからだ“
との指摘は的外れだという持論だ。

 

英会話スクールを30数年やってきて、彼女の指摘に全く異論はない。

 

この教室を始めた当初は、会話中心の授業で、
面白楽しく会話をし、話せるようになりましょう、的な会話スクールだった。

 

市場はほとんどそのような学校ばかり、
また、教材もそのようなものばかりだった。

 

確かにあの当時は、高学歴で英語が出来ても、話せない人が多くいて、
日常会話的な授業も必要だったこともある。

 

しかし、英語知識の詰まった、つまり、読める・書ける・文法完璧のような人は
数時間のnativeの日常会話を習えば、全く問題なく話すことが出来る。

 

という事は、
やはり学校で学ぶ文法・読解・英作はとても重要で、
それをおさえておけば、話せるようになるのは簡単なことなのだ。

 

数年前、中学生の英語をボランテイアで教えたことがある。
会話中心の教科書で、説明等は無く、ただ暗記するような教科書だった。
中学生が、英語の基礎的知識や文法等を勉強せずに、
理解出来るようになるのか、疑問だった。

 

英語の基礎がなければ、
文法をきっちり学ばなければ、
語学の上達は無い。
話せても、書けなければ文盲だ。(実際、英語文盲の人は居る)
話せても、教養に裏打ちされた内容がなければ、英語が使えることにはならない。

 

リッチモンドスクールは一段上の語学スクールを目指している。

 

 

 

 

 

 

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男気

2018/01/23


 

先日亡くなられた星野仙一さんの追悼文 “{男気の美学}貫く” が
毎日新聞に掲載されていた。

 

現役時代はあまり覚えていないが、

監督になった星野氏のイメージは強く残っている。
負けん気魂が前面に出すぎて、何か好きになれなかった。
今にして思えば、それが勝負師なのだろうが。。。
いつも吠えている闘志の塊は、ちょっと受け入れがたかった。

 

最近、

“男気溢れる闘将”、“燃える男”
と言われた彼の人となりを耳にし、ちょっと感動している。

 

若い時には分からなかった彼の魅力。

 

友人のFBでも

「偉ぶらず、ガサツでもなく、実にいい男だった。
爽やかに気を使い、物怖じしない男
今までの審美眼が揺らぐほどの男」
と賛美していた。

 

追悼番組では、

福祉施設を定期的に訪問したり、
難病や障害のある子供たちへのボランティア活動が紹介されていた。

 

有名人だけでなく、

市井の人々からの感謝の言葉に心打たれた。

 

燃える男は、

繊細で心優しい人間力を持った男の中の男だった。

 

2013年に日本シリーズで楽天初優勝した時の言葉。

”ほんの少しでも、雀の涙でも、被災者の皆さんを癒してあげたかった。ありがとう“

 

「男気の美学」を持った昭和の男がまた一人去った。

 

 

 

 

 

 

1/23 スクールの前の道路。

 

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2018年

2018/01/12


 

新年は快晴の三が日とスーパームーンでスタート。
明るい新年か・・・。

 

昨年末から今年にかけて心に留まった新聞記事から、

 “回顧から共生の未来へ”島薗進氏

 

現在、新自由主義的な経済によって世界中で格差が拡大している。 
経済成長の流れでしか問題の解決法を考えられない状態は発想が貧困というしかない。
人々は優越意識の確保に必死になり、
他者との「共存共栄」を具体化するような政治が見られない。

宗教界や学問の世界は人類が養ってきた良識の発展、多様な価値観の尊重、

 

文明の共存を目指している。

それはかすかな希望であり、良識派の「抵抗の時代」とも言える。

 

“カーテンを開けて” 小松浩氏の社説から

「互いに知らず、理解しあえないなら、どこに平和があるのか。
互いに切り離され、相手に学ぶことも許されないなら、どうやって共存できるのか」
「対話とふれあいの妨げとなるカーテンを、さあ脇に捨てよう」
1957年、ノーベル平和賞を受賞したカナダの政治家、ピアソンの言葉。

 

それから60年。相互理解を阻む壁はむしろ高く、厚くなった。
あらゆるものごとを勝利か敗北か、栄光か屈辱かで色分けする思考に、
世界が染まっているように見える。

 

他者を丸ごと否定する集団心理へと駆り立てる力に流されないようにするには、
一度、他者の視線を通して世界を見つめ直すことが必要だ。

 

“お互いさま、助け合い”をモットーに生きてきた良識的日本人は、

“自分ファースト”が蔓延り、
人間としてあるべき指針が大きくずれた世界に
どのように立ち向かい進んでいくのか、
漠とした不安な新年のスタートだ。

 

 

 

 

新年の風景

 

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クリスマスパーティー(2)

2017/12/19


 

前回の続き。

 

カナダ人講師のガールフレンドのガンビア人。
正式名は、ガンビア共和国、公用語は英語。
西アフリカに位置する小さな国。

 

私にとって初めて会うガンビア人。
とても美しくスタイルが良く、日本語も話す素敵な女性だった。

 

今回、中国の大学生が二人参加してくれた。
講師のCintiaを紹介してくれた沙君。
共に慶応大学の学生。

 

Cintiaもグローバル。
上海生まれで中高校はアルゼンチン。
日本人の義理の祖父と中国人の実の祖母と下町で暮らしている。
中・英・日本語を話す才媛。
授業中、彼女の綺麗な中国語に聞きほれてしまう。

 

沙君は、日本生まれで両親は中国人。
香港のお気に入りの缶に、お手製のピーマンの肉詰めを入れて持ってきてくれた。
とても美味しかった。
また、礼儀正しく、出すぎず,シャイすぎず、
バランスの取れた本当に“良い子”だ。

 

二人とも、今の日本人の大学生にはいない。
接していて気持ちが良い若者だ。

 

さわやかで素直で、まっすぐな二人に出会えたこと、
橋渡しをして下さった敦子さん、ありがとう。

 

単一民族の日本の中にいては、
一方向からの見方しか出来ない。

 

様々な国の人と知り合い、
多様な考えに接することによって、
戸惑いがあったとしても、
“違い”を分かり、納得しあうことが重要だ。

 

戦争のない世界は、
手をつなぐことによってもたらされる。

 

 

 

 

 

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恒例クリスマスパーティー(1)

2017/12/15


 

It’s already December.
It seems like it was New Year’s just one or two months ago.

 

本当にあっという間の12月。
恒例のクリスマスパーティー。

 

生徒さんの出張や体調不良等で欠席者が多いと心配していたが、
7か国の方々の出席で賑やかな和やかな素敵なパーティーになった。

 

英・米・加・中・韓・ガンビア・日の7か国の国際交流。

 

元講師のDavidは上海から出席。
彼の生徒さんだった侑也君も、奥さんと出席。

 

侑也君は幼稚園から高校まで生徒さんで、
今は外務省で華やかに活躍している、
リッチモンド卒業生の希望の星。

 

Davidとの10数年ぶりの感動の再会。
また、元大使夫人だった晴子先生とも繋がり、
リッチモンドワールドが広がり嬉しい。

 

Davidも素晴らしい。
ロンドン大学でMBAを取得し、
シンガポール・香港・上海と金融畑で働いたのち、
金融は肌に合わないと辞めて、
2年間フルタイムの学校に通い中国語をマスター。
現在、自身の経験から留学相談・手続き・論文指導等
中国人相手に、上海で起業した。

 

英・中・日本語を完璧に話し、日本人妻を持つアメリカ人。
一人グローバルだ。

 

芥子粒のようなリッチモンドでも、
深くて広い知識を持った様々な国の人々に
個性的で感性豊かな生徒さんに支えられ、
30年やってこられた。

 

本当に“お陰さま”
心から感謝している。

 

 

Davidと侑也君

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David & Arniel

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読響

2017/11/29


 

リニューアルされたサントリーホールのコンサートに行った。

 

読響に入会し10数年になる。
クラッシック初心者から卒業できないが、
奏でられる音に響く感性は、少しずつ磨かれているようだ。

 

今回は、
メシアンの歌劇“アッシジの聖フランチェスコ”
休憩をはさんで全幕5時間半。
全幕日本上演は始めて。
睡魔に襲われることなく、あっという間だった。

 

舞台いっぱいの多種の管楽器、打楽器、銀盤打楽器等が、
様々の音の世界をくり広げ、
壮大なイメージを作り出す。

 

また、鳥類学者メシアンと言われるように、
楽器が奏でる数種の鳥の唄声が会場に広く響き渡り、
心が澄み渡っていくようだった。

 

クリスチャンではないので、
宗教をベースにした音楽に抵抗を感じる時が時々あるが、
フランチェスコの歌い上げる愛や平和には引きずり込まれ、
心地よい感動に包まれた。

 

拍手鳴りやまず、
スタンディングオベーション。
胸に突き刺さった感動に観客は立たずにはいられなかった。

 

外に出ると
カラヤン広場はクリスマスツリー。
来月公演は恒例の第九。
月1回の清涼剤は続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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中国語

2017/11/14


 

3度目の挑戦で、中国語を習っている。

 

大ベテランの李先生が、当分弘前に滞在することになった。
弘前大学の教授をなさっているご主人が体調を崩され、
やはり傍にいなくてはと、東京を離れた。

 

今まで李先生に全権依頼、
中国語コースに関しては、お任せしていた。

 

李先生の留守の間、中国語コースの再構築。

 

二人の新講師を迎え、新たな体制で再スタート。

 

台湾出身のママさん講師と
上海出身の慶応大学女子学生。

 

ママさん講師は大学まで台湾で、イギリスの大学院を出て、
ご主人はイギリス人。
家では、英語・日本語・中国語の3か国が共通語。

 

女子学生講師は上海の小学校を卒業し、
中・高校はアルゼンチン。
卒後は日本で2年間日本語学校に行き、慶応に入学。
中国語・日本語・英語・スペイン語と4か国語を話す。

 

私の先生は女子学生。
半分認知症になりかけた私に、
何度も繰り返し、根気よく教えてくれる。

 

今や、日本のインターナショナルスクールでは、
中国語が必須科目とか。

 

漢字がわかるから日本人は覚えやすいと言われているが、
日本にない発音が多々あり、
西洋人の方が発音はし易いと思う。

 

文法より発音の方が難しいので、
耳の良い子供の時にするのがベスト。

 

なんといっても10倍の人口、私たちはいつもアウエイ。
中国語がマストな時代が必ず来る。

 

私も今回は本気モードで頑張る。

 

 

 

 

 

 

 

先生お手製の教材

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広島へ

2017/11/06


 

厳島神社の観月能の前に広島に寄った。

 

広島は二度目だが、
核兵器廃絶と恒久平和を求めるシンボルとしての原爆ドームを
再度訪ねたいと思った。

 

広島というと、日本人としてシンパシーを感じる。
沖縄に感じる気持ちと似ていて、
戦争で最も悲惨さを味わい、犠牲になってくれた場所。

 

真夏の記念式典、テレビで中継される平和記念公園は
修学旅行生で溢れていた。

 

平和記念資料館は、
一瞬のうちに焼け野原になったCGが流れたり
被爆資料や遺品などが展示されていたが
以前に比べ、きれいに整理整頓されすぎて、
悲惨さや恐ろしさを隠しているようだった。

 

毎日新聞の日曜版、小川糸の”つまずきの石”から。

 

ドイツでは歩道を歩いていると金属プレートが埋め込まれ、
亡くなった人の名前、生年月日、命日、亡くなった場所が、
そのプレートに刻まれているという。

 

ドイツには国中に、戦争のモニュメントが点在し、
”戦争の記録と記憶は常に日常生活の目に触れる場所があるから、
うっかりそのこと忘れてしまうという隙間がない。

 

“なかったことにしたい事実に覆いをかぶせるのではなく、
自分たちのこれからの平和のためにあえて直視する。“

 

戦争の残酷さ悲惨さはひたすら覆い隠す日本。
戦争の悲劇が常に人々の目に触れるドイツ。

 

どちらが平和な国を構築できるのだろう。

 

 

 

 

 

 

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厳島神社観月能

2017/10/27


 

厳島神社の能はずっと以前から行きたいと思っていた。
海に浮かぶ能舞台という設定に惹かれた。

 

満月の夜、満潮時。
海に照らされる月の明かりと、水面の揺らぎ、
回廊にぶつかる波の音。
海に浮かぶ能舞台で繰り広げられる能の世界。

 

遠くには、ライトアップされた赤い鳥居が浮かぶ。

 

真っ暗な回廊に小さく灯される灯篭のほのかな明かり。
客席は時が止まったような静寂と漆黒の闇。
自身の存在さえ無になったような瞬間。

 

能役者の舞う厳かで幻想的な能の世界。

 

まさに“幽玄”

 

薪能は何回か経験したが、
観月能は全く別世界。

 

実は、満月ではなく雨だったが・・・、
回廊の屋根を打つ雨音が、笛や鼓の能楽と融合し、
また一段と魅力のある舞台となった。

 

ひたひたと打つ波の音を足元に聞きながら、
長い回廊を歩いて、
現実の世界に連れ戻された。

 

 

 

 

 

能が始まると照明は全て落とされ、能舞台だけ明かりが灯る。

 

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日野原先生

2017/10/10


 

先日亡くなられた日野原先生の本は読んだことがなかったので、
評判になっている何冊かのうち1冊を注文した。
なんと、1か月も待たされて。

 

“生き方本”は、ちょっと抵抗があるが、
105歳の長寿を全うされた日野原先生には、
特別な何か、があるのではと思い、
読んでみたくなった。

 

「どうよく生き、どうよく老い、どうよく死ぬか」日野原重明

 

”生きていくことに、悲しみはついてまわります。
けれども、悲しみの数よりもはるかに多くの喜びが人生には用意されている、
そう私は信じています。“

 

日野原先生は、30代でアメリカに留学し、
臨床医学の父とも呼ばれたオスラー医師の著書を通して
臨床医としての姿勢を学んでという。

 

”医師は病を診るのではなく病む人を診るのだ。“
”南を向く斜面のよう人柄でありなさい“

 

彼は、そのオスラー先生の教え通りに、
臨床医として、
常に患者の立場に立って、患者のために生涯尽くされた。

 

日野原先生は、根底に人間に対する深い慈愛と優しさが溢れていた。

 

晩年は子供たちに、命の大切さを伝えるため、
亡くなるまで日本中津々浦々講演に回っていた。

 

また、スポーツ、音楽、絵画、文学、どれにでも造詣が深く、
全てを、一流にこなされた。

 

同じ時代を生きた医師の父に、
”日野原先生を見習って“と叱咤激励したが、
一足早く、わが父は90歳で現役の医師として亡くなった。

 

超人的な日野原先生と比較してごめんなさいと、
父の写真に手を合わせている。

 

 

 

 

 

 

 

 

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